ある日、高校以来会っていない友人から電話が来た。
「なぁ、らいあん。Jって覚えてる?」
ホラ、クラスでいつも
マジメランキング上位だったJ」
覚えてるもなにも、数年前に一度LINEで電話したっきりだった。
「覚える。覚えてる。どうしたん?」
何かお祝い的な、結婚したのかという報告でもきたのかと思った。
マジメだし人当たりもいいから女子ウケも割とよかったのを覚えていた。
多分、アイツならモテるんだろうなぁ、と。
「えっとな、…アイツ、自殺したらしいよ」
…は?
「…え?それマジ?」
「本当らしい。俺も又聞きだから確証なかったけど。この前高校の時のダチと一緒に墓参りに行ってきたわ。」
衝撃すぎて言葉も出なかった。
Jとはお互い高校を出て、アイツは就職、僕は上京して大学に入学した。
そこから数年経って久しぶりにLINE電話で話したっきり。
その時の電話の内容はJの仕事の悩み。
「仕事がキツくて。大変だけど頑張ってる。」
みたいな感じだった。
その頃、Jはすでに就職してて、自分はまだペーペーの大学生だった。
だから働く大変さなんてしらないクソガキだった。
「へぇ、大変なんだな。まぁ、がんばれよ!」
ぐらいに思っていた。
あれからずっと連絡がない。
彼はもうこの世から旅立ってしまっていた。
そこから電話をくれた友人とはなんだかお互い少ししんみりした空気になってしまい電話を切った。
…部屋でPCチェアに腰かけながらしばらくボーッと考えていた。
今までニュースで「電車が止まった」という人身事故の報道を見かけた時。
世界仰天ニュースみたいな番組で「凶悪殺〇犯!その裏の真実!」みたいな番組を見ていた時。
それとはまったく違った感情だった。
思えば人生で初めて人の死と対面したのは、中学生の時だった。
父方の祖父の最期を見届けたのを覚えている。
病院のベッドで横たわる祖父の隣に立つ。
すると祖父は閉じていた目を薄く開いて僕を見て、少し笑顔のようなものを浮かべた。
と思えば、痩せこけて骨ばった腕からは考えられないぐらいの力で僕の腕をガシッと掴んできたのを覚えている。
それがエールだったのか、あいさつだったのか、僕には分からない。
…その数時間後、祖父はこの世を旅立った。
正直、泣けもしなかった。
なぜなら、その祖父とはその日初めて会ったから。
「おい、今から行くぞ。」
と父からは何も説明されず家族全員でその病院に向かって。
病院のベッドに座っているおじいちゃんを見て「お前の祖父だ」といきなり父親から説明されたから。
正直、状況がうまく飲み込めていなかったのもあると思う。
祖父が祖母と離婚してずっと別のところで暮らしていたこと。
ギャンブル狂いで、倒れるまでパチンコ屋にいたこと。
そんなこと、その時初めて父親から知らされた。
当時、中学生だった僕は初対面の祖父の死に対面した。
…そうやって部屋でイスに座ってボーッと考え事をしながら、先に旅立ってしまったJのことを思い出していた。
高校の時のクラスでは
「マジメで優しいヤツ」
と先生からもクラスの女子からも、もちろん男共からも愛されていた。
人一倍がんばり屋なところがあって、愛される優等生だった。
数年前、最期に僕が受けた電話は仕事での悩み相談だった。
「最近さ、会社で上司にミスをなすりつけられて、誤解されててさ。今ちょっと会社で肩身が狭いんだよね。」
「でもさ、こうやって生きてて色んなことがあるから幸せを噛み締められるんだよ。毎日楽しいなんてのは、毎日楽しくないのと同じだろ?」
時々、名言みたいなことをつぶやくのがその友人らしさだった。
明るい調子で語っていたから、てっきり平気なのかと思っていた。
だから僕も「おいおい!お前は優しいからいつも損ばっかりしてるな!」なんて茶化していた。
そんな友人。自分と同い年の友人が先にこの世を旅立った。
もちろん近くにいたわけじゃない。
だからどういう理由でその選択肢を選んだのかなんて分かりっこない。
でも、少なくとも。
優しくてマジメなアイツが報われない世の中なんてクソくらえ
と思った。
世渡り上手や、ゴマスリ上手、ズル賢い人たちがのらりくらりと生きていて、優しいやつやマジメな奴が損ばっかりする世の中なんてクソくらえ。
人生で直接関わってきた身近な人の死は、こんなにも重くのしかかってくるのか、としばらく呆然としていた。
もちろん自分も頭の中で死をよぎったことがある。
引っ越しのバイトで毎日のように理不尽な八つ当たり、罵詈雑言、仕事の押し付け、パワハラを何ヶ月も受け続け、ある日ベッドから起き上がれなくなった日。
「このまま社会でやっていけるんだろうか。自分はもう無理なんじゃないか。こんな奴が社会でやっていけないだろうが。もう生きてる意味ないんじゃないか。」
と危険な考えに囚われていたからよくわかる。
ある意味その日は後になって僕にとっての記念日になった。
『自由を目指す決意。そのすべての始まり』
という名の人生最高の記念日になった。
周りの人からみれば「そんなことで」と思うようなことでも、本人からすれば人生を断つかどうか考えるレベル。
正直、今回の話もブログに書くかどうか迷った。
多分、読んだ人はあまりいい気持ちはしないことなんて分かりきっているから。
でも、普段それなりにやっていけていて、時々理不尽なことを経験したりしながらも、なんだかんだ笑ったりして毎日やっていけているということは幸せなんだということをわかって欲しい。
あと、マジメとか優しい人が報われない世の中はクソくらえ。
僕自身、優しさで損する状況に遭ってきたから余計にそう思う。
どうせ優しさとかを振り撒くなら、
自分が本当に与えたいと思う人に全力で与えた方がよっぽど幸せに感じる生き方があるということ。
もしその友人に伝えていたら変われていただろうか。
優しい人だからこそ報われるような生き方もあるんだということを知ってもらいたい。
自分にとっては当たり前のようなことが価値になり、ビジネスになる。
自分が関わっていきたい人、その人たちとだけ関わって、喜ばれる。
好きな人とだけ関わって、好きな人とだけ時間を過ごせる生き方。
ぶっちゃけこれほどストレスフリーな生き方はないと思う。
なんというか、改めて自分の生き方を考えさせられる時間になった。
ずっと忘れないためにもあえてこうして文章にして、コンテンツにして残しておきたいと思う。
コレを読んでくれたあなたにも何かひとつでも響くものがあれば嬉しい。
人生は一度きり。だからせめて全力で生きるくらいのことをやってみせる。
嫌いなことなんかやっても伸びない。どうせ一度の人生なら好きなことをとことんやるべきだ。そうすりゃ、それがやがて社会の役に立つ。
―― 本田宗一郎(ホンダ創業者)
一度だけの人生。それが私たちの持つ人生すべてだ。
―― ジャンヌ・ダルク
(15世紀のフランス王国の軍人、カトリック教会における聖人)
一度きりの人生を真摯な姿勢で「ど」がつくほど真剣に生き抜いていく、そのたゆまぬ継続が人生を好転させ、高邁な人格を育み、生まれ持った魂を美しく磨き上げていくのです。
―― 稲盛和夫(京セラ・KDDI創業者)
自分の一番したいことをすればいい! 日本人はどうして自分の本当にしたい気持ちを抑えて、他人と同じように行動しようとするのだろうか。一度しかない人生なのに、自分の人生なのに。他人と同じように生きようとして結局はもがき苦しむ。
―― 堀紘一(ドリームインキュベーター創業者)