どうも、らいあんです。
結論から言うと、僕は
「優しい人&いい人=都合のいい人」
であることをやめたことで人生を変えることができました。
お金、人間関係、ライフスタイル、どれも大幅にいい方向へ変わりました。
常に周りの顔色を伺って、いつも嫌われないようにビクビクしながら、上司からも後輩からも必死に顔色を伺ってプレッシャーに押しつぶされそうになって働いていた状態から、
平日の昼間から時間もお金も何も気にせずに旅館に泊まりにいったり旅行に行ったり、 むしろ自分をガンガン出していくことで人から喜ばれたりするライフスタイルを手にできることができました。
もしあの時、「よく見られようとする」必死になる自分を捨てられなかったらこの生き方は間違いなく叶っていなかったですね。
「いい人」であろうとすることを辞めたことで自由なライフスタイルに近づくことができました。
というわけで、
「優しい人・いい人」であることを辞めることで人生変わるという話をします。
もしこれを読んでいるあなたがいい人であろうとして嫌われるのが怖くて自分を出せないで悩んでいるのであれば、変化するキッカケになればいいなと思っています。
では、初めていきます。
ざっとまとめると
都合のいい人であることをやめ、「別に周りに嫌われようがどうでもいい」と自分に素直になって生きるようにしたら自分の人生を生きるライフスタイルが手に入った、という話を。
「自分の感情を押し殺す」のが美徳なんだと思い込んでいた幼少期
昔はヒドかったです。
どうひどかったのかというと「自分の感情を殺すことを美徳」としていたことです。
「〇〇が欲しい、〇〇がしたい、〇〇してみたい。」
こういった感情を押し殺すことが「いいことなんだ」と親に教育されてきました。
そして僕自身本気でそう思って生きていました。
それを象徴するのが父方の母、つまりおばあちゃんに「欲しいものを買ってあげると言われた時」です。
普通の子供なら
「欲しいもの買ってあげるから言いなさい?」
と言われたら素直に口に出すじゃないですか。
ケーキ食べたいとか、
あのオモチャ欲しいとか、
あのぬいぐるみが欲しい、とか。
…僕はどうだったかというと。
「欲しいものを買ってあげる」と言われても沈黙する子どもでした。
沈黙です。沈黙。
恥ずかしいとかじゃないんです。
「欲しがる子どもは悪い子だ」と本気で思っていたんです。
「贅沢は悪で、欲しがるのは悪で、いい子でいなきゃいけない」
そう思い込んでいました。
両親とレストランに行った時とかに「コレ食べたい」と言おうものなら「もっと安いものにしなさい」というのが口癖でしたね。
「お前は親の金で食ってんだから文句言うな」というスタンス。
当然ですけど当時の僕はクソガキなのでそれに従うしかありません。
そうやって「欲しい」とか思ったことをことごとく否定されてきたのでだんだん欲しがらなくなりました。
いや、ちょっと違いますね。
欲しくてもガマンするのがいい子なんだと思うようになっていきました。
だから僕のおばあちゃんからすれば怖い子どもだったと思いますよ。
素直に欲しいものを言ってくれない。
それどころか「大丈夫。いらない。」と頑なに首を縦に振らない。
しかもそれをまるで当たり前かのように平気そうにしている。
なぜなら僕は欲しがるのは悪で悪いことだと思っていたから。
必死でいい子でいようとして欲しがらず、ひたすら嫌われないように生きる子どもになりました。
いい子でいないと捨てられる。
いい子じゃないと生きている価値がない。
無意識にそう思うようなレベルでした。
そのせいか、だんだん感情表現とかを素直にするのがすごく苦手になりましたね。
自分を出すと嫌う人が出てくるからですね。
人前で笑ったりはできるんですけど、好きとか嫌いを口にしたり、願望を口に出したりするのがすごく苦手な幼少期でした。
ぶっちゃけですね、嫌われることを異常に恐れてたんですよ。
いい子でいなきゃ捨てられる。
だからワガママ言っちゃいけない。
だから嫌われないように、嫌われないように、いい子でいようとしていました。
なので当時、
「アンタは子どもなのよ。もっと欲しがっていいんよ。子どもなんだから欲しい物をいいなさい。」
とおばあちゃんはボロボロ泣きながら僕の頭を撫でてくれました。
けれど、ピンと来なかったんです。
「え?おばあちゃん、なんで泣いてるの?」というレベル。
なぜなら欲しいと言えば怒られ、贅沢だと叱られ、ダメだと言われ続けてきたから。
「なんで欲しいのを我慢するのは当たり前なのに、おばあちゃんは泣いてるの?」と。
その結果生まれた評価が「いい人、優しい人、マジメな人」でした。
…とんでもない。僕はそんなんじゃないクソ野郎でしたよ。
ただ嫌われるのが怖くて、自分を出すのが怖いだけだったから。
だから善い人を演じていたにすぎない、と今なら思いますね。
で、どんどん周りから「いい人だね・マジメだね」という評価が溜まっていくからそれを守り抜くのに必死だった。いわばプレッシャーになっていた。
そうやって「嫌われたくない」という一心でひたすらいい人、マジメな人であろうとし続けた。
当然なんですけど、人と深い関係を築けなかったり、素直になれなくて友人とすらも距離を感じることとかありましたね。
なぜなら自分を押し殺していい子でいることが美徳だと信じて生きていたから。
都合のいい人をやめるキッカケの変化はメンタルやられて倒れた日
僕が変わろうと決意したタイミングは倒れたことです。
当時、大学生だった僕は引っ越しバイトで必死に働いていました。
毎日毎日学費を稼ぐのに必死でバイト、バイト、バイト。
で、職場でいつも組まされていたのが当時の上司がヤバかった。
どうヤバいかというととにかく言動がひどい。
罵詈雑言は日常的、すぐキレる、やつあたりがひどい、パワハラがひどい。
多分ここに書いてしまうと、読んだ人がメンタルやられてしまうぐらい酷い暴言です。なので書かないでおきます。
まぁ、ようするに。
「アイツと一緒に組んだ新人は1日で飛ぶ(いなくなる)」で有名な上司だったんです。
それでも僕はいい人の皮を被って必死で働きました。
もうひたすら嫌われないように必死。マジメ。
だからひたすらガマンした。
学費が必要だったから耐えたとにかく耐え忍んだ。
これ、信じられないかもしれませんが「やめる」という選択肢が頭になかったんですよね。
人間ってあまりに恐怖を植え付けられると他の選択肢が浮かんでこなくなるんですよ。
しかも善人の皮を被った僕こと、らいあんだったから「バックれる」ことを異常なくらい忌避していました。
で、恐怖心と謎の責任感にがんじがらめにされて辞めるという選択肢が自分の頭になかったわけです。
なぜなら「いい子」でいなきゃいけないからですね。
自分でそう盲信的に思い込んでいるわけです。
自分の自己イメージを守るために必死です(笑)。
で、ある日、ベッドから起き上がれなくなりました。
何ヶ月の間か忘れたんですけど、ずーーーーーっとそのクソ上司と組まされるわけです。
なぜなら僕が必死に耐えるから。他の人と組ませると続かないけどらいあんと組ませると続くな。よし組ませよう。そうやって職場の問題児をずーっと押し付けられ続けたんです。
一度、「組む人変えて欲しいんですけど」とマネージャーの人にこっそりお願いしに行ったことあるんですけど、「ごめん!頼む!他の子と組ませたらその子辞めちゃうから!がんばって!」とダダをこねられました。
当時、お人好しだったらいあんはそれを「そうですか…」と受け入れてまた耐えるわけですね。
当時の僕は誰かの代わりに差し出されたイケニエだったわけです。
なぜなら他の人と組ませるとその人がやめるぐらいメンタルやられるから。
そうやって何ヶ月も耐えてたんですけど。
…ある日、ベッドから起き上がれませんでした。
いや、いつも通りの時間に起きたんですよ。
目覚ましを止めて「よし、今日もバイトだ」と思っていると涙が急に流れて止まらなくなりました。
意味がわからないんですけど、急に涙が止まらなくなったんです。
「は?」と思いましたね。
自分がいちばんビックリしました。
頭では「バイトに行かなきゃ」と思っている。
けれど心が「バイトに行くなんて絶対に嫌だ」と拒否していたんです。
その状態が、もう頭は起きてスッキリしているのに涙がボロボロ流れて止まらないという現象でした(笑)。
今なら笑って話せますけど、当時はパニックでしたね。
玄関から出ようとすると足が震えてました。
また何か罵詈雑言を言われるんじゃないかと想像するだけで、足がすくんでいたんです。
でも、ほんの数日前までは平気だったんですよ?
肉体労働系のバイトなんて口悪い人ばっかり、ガラ悪い人ばっかりですから。その世界で揉まれてやってきて別に平気だったわけです。
なんなら高校生の時も引っ越しバイトしてましたから。それで大学入学の学費を貯めましたから。
だからぶっちゃけガラ悪い人たちは平気だったんですよ。
でも、当時のそのクソ上司の理不尽な八つ当たりとか罵詈雑言は耐えられませんでした。
言われる理由がないのにキレられ、罵声を浴びせられ、イライラされるわけです。
それでも僕は必死でいい人であろうとい続けて必死に顔に笑顔を貼り付けていました。
そうじゃないと仕事が進まないレベルでその上司が機嫌を悪くするから。
ある時、反抗した新人がその上司と言い合いになってその日の仕事が飛びかけたことがありました。
僕は心では「うわぁ、今日のバイト代減りそう。最悪。」と思ってました。
そうやって理不尽な暴言とかにずーっと耐えてました。
それがある日、心のSOSとなって崩れたわけです。
すごいですよね。
人間にはガマンの限界があるんだって人生で初めて実感しました。
そのベッドでボロボロ泣いた朝、バイトを辞める電話を入れましたね。
急に辞めるとか、職場に迷惑かかることは百も承知でした。
で、マネージャーに電話して完結に「辞めます」とだけ伝えました。
で、「そうか…。」と電話が切れる直前に「やっぱ、この子でもだめやったかぁ…」という声がチラッと聞こえたのを今でも覚えています。
そうです。
僕は結局、職場の問題社員をどうにか回すためのイケニエだったんですよ。
その時何かプツッと糸が切れる音がしましたね。
「バカらしい。やってられるか。」と。
都合のいい人として体よく扱われて、イケニエにされて、問題社員と組まされて、ボロボロにされて。
何が問題だったのかって。
僕がハッキリしていなかったのが問題だったんですよ。
結論、自分が悪い。お前がハッキリしてないからこうなった。
それをハッキリ自覚したんです。
人の顔色ばかり伺って、嫌われることを恐れて、ハッキリしない態度でニコニコしながらうやむやにしようとするから、相手は「大丈夫だろう」と思って押しつけるわけです。
たとえば仕事を頼まれるときも「忙しいのでできません」って言えないタイプだったんですよ。
とりあえず「わかりました」と言って、後で必死になってこなすようなタイプ。
そうやって都合のいい人、損する性格だったんです。
で、一度引き受けると、また別のタイミングで押しつけられます。
しかも原因は「自分が感情を殺して、嫌われまいと、いい子でいようとしていた」から。
そうやってなんというか、それまでずっとつっかえていたものが取れたんです。
その時、ガラッと考え方が変わりました。
いい人を演じて都合よく使われて、それで人生損して、体壊してメンタルやられて、やってられんわな、と。
バカらしいわ、と。
何よりそうやってナヨナヨしてニコニコして人の顔色をうかがって嫌われないようにしてガマンして耐えてそれを良しとして生きている自分に無性に腹が立ってきたんですよね。
なんというか、マジメの皮を被るアホらしさに気づいた。
誰の顔色をうかがうのさ?
嫌われたところで別にどうでもよくないか?
合う人は合うだろうし、合わない人は合わないだろう、と。
100%誰からも好かれる人間なんてこの世にいないぞ。
美人ですら妬まれ僻まれ、嫉妬され、勝手に嫌われてるんだぞ、と。
そうやっていちいち嫌われるのを怖がって顔色伺っていい人でいて損するよりも、
それよりも本当に一緒にいたい人と素直に通じ合えた方がよくないか?
みたいな考え方に変わっていった。
もちろんいきなり変われませんよ。
そうは言いながらも最初はいい人を演じるのを捨てるのが怖かったですよ、そりゃあ。
だから悪い人、好き勝手な人を参考にして行動しました。
そうやってだんだんと嫌われようがどうでもいいやと思えるようになっていった。
これ、今では笑い話なんですけど。
人生で初めて大学の講義をサボりましたね。
これ、ホントですよ。
人生で初めてサボりました。
で、サボる時も心臓バクバクです。
当時の僕はマジでそれまで無遅刻無欠席なくらいのマジメ野郎でしたから。
ぶっちゃけサボる時は崖から飛び降りるような気持ちでした。
清水の舞台から飛び降りる、とかそういうレベル。
当時の僕、かわいいもんですね(笑)。
そう。授業をサボるだけですらビクビクするほどマジメでした。
いまなら「どんだけやねん!」とツッコミたくなりますけど。
本当にそういうレベルの悪いことすらも「嫌われるのがイヤ」でできないクソ甘ちゃん野郎だったんです。
今思えば本当にただのお人好し、都合のいい人でしかない(笑)。
で、それ以来どんどん自分を出すようになりました。
嫌われるとか関係なく気持ちを正直に伝えるようになりました。
好き・嫌いをしっかり伝えるようになした。
そうすると良いことがたくさん起きました。
似た考えとか価値観を持つ人が集まるようになった
少しづつハッキリ意見や価値観を言うようになって、自分をガンガン出していくと、同じ価値観とか考えを持つ人と関われるようになりました。
例えば旅が好きな人、スノボが好きな人、読書が好きな人、矢沢永吉が好きな人、洋楽のアーティストが好きな人、趣味とかが共通だと一瞬で仲良くなれました。
もちろん自分を出す段階で「え?何それ?」とか「それ嫌いだな」と言う人もいました。
そりゃそうです。人間の数だけ趣味嗜好があるわけですから。
でも、つながる人とは深く繋がれる。語り合える。
そうやって似たような価値観を持つ人と出会って、さらに世界が広がっていくおもしろさに気づけました。
で、そこからどんどん自分の価値観を固めて行って、自分らしい生き方というか、自分を出していく生き方に憧れて今のライフスタイルがあります。
自分を出すと高嶺の花みたいな女性にモテるようになった
あと、これは意外でした。自分にとっては特に。
自分を出すようになって美人にモテることが増えました。
媚びへつらわず、言いたいことバシッといってたらめちゃくちゃ好かれたことあります。
元・地方モデルの女性だったんですけど、たまたま同じ飲みの場に居合わせてエグいぐらいアプローチされました。
こう、飲みの席から離れて静かなところで飲むことになって、手をニギニギと握られたり、やたらと体が触れる距離まで近寄られたり。
最初は「なんだ?今から騙されるのか?」みたいに構えてたんですけど。
「すごい安心する」って言われましたね。
「裏表がない感じがする。一緒にいて心地がいいの。」
みたいな感じで「普段ここまで男の人に打ち明けたことない」とまで言われました。
僕も内心では「僕もここまで女性に打ち明けられたことないわ!」と思ってましたけど。
美人の悩みってすごいこう今までのらりくらりと生きてきた自分とは全く違いました。
別に何もしてなくても「アンタ私の彼氏に色目使わないでよ!」と勘違いされ嫉妬されて一方的に嫌われるとか普通に何回もあったらしいです。
で、そこから女友達とつるむのが嫌になって男性とつるむようになったら今度は「あいつは男に色目使ってたぶらかしているビッチ!」みたいな扱いを受けて、これまた嫌われる、と。
どこにも自分が安心できる場所がなかった、と打ち明けてくれました。
こう、まつ毛とかすごい長くて、スタイルも出るとこしっかり出ていて、多分歩けばほとんどの人は男女問わず振り返るだろうな、みたいなレベルの美人(モデルやってたくらいだから当たり前ですが)と目を合わせながら会話をしていてすごい考え方が磨かれていきました。
あぁ、マジで美人でもみんなから好かれるのは不可能なんだ。
というか、本当に露骨に嫌われるレベルなんだ。
俺なんてまだまだクソレベルだなと思ったりしていました。
(美人よりマシだと思って安心するとか今思えば最低ですね(笑)。)
その美人モデルとの出来事がさらに「嫌われることを気にしていい人を演じる」とか馬鹿らしいと思うキッカケになりましたね。
ホント、嫌われるのをいちいち気にしていたらキリがない。
みんなから好かれることがまず不可能なのに。
そうやって嫌われるのをいちいち気にして自分を出せずにいるのがいちばん人生の損失だなと思うようになりましたね。
だったらむしろ自分が合う人にしっかりぶちまけてその人たちと過ごせばいい。
自分が一緒に生きていきたい人、その人たちとだけ生きていければいい。
そうやって「自分を出す」ことはむしろ「自分の人生を充実させる」ためにすごく重要だと考えるようになりました。
で、なんで美人に興味持たれたのかと言われた、僕が「悪口とかグチ」で盛り上がる人種が極めて嫌いだとオモテに出していたからですね。
ウワサ話が好きな人とかが嫌いだってことを表に出していたんです。
その時の飲みの席でみんながそういう話で盛り上がる中、自分は席を立ったりしていました。
居心地が悪いし、そういう人たちと一緒にいたくないから。
そうやって態度をハッキリさせていたら、その元・モデルの美女も同じ考えを持っていたわけです。
そうやって自分をしっかり出すようにすると、嫌われる人には距離を置かれますが、合う人とはガッツリ合うようになっていきます。
この時の経験でさらに僕は「自分を出す生き方」に自信を持てるようになりました。
というか、
「いい人」を演じてモテずに都合のいい男&つまらない男として終わるくらいなら、
自分を出していって嫌われる人には嫌われても、好かれる人には好かれるならその方がよくないか?
と今なら思いますね。
だからもっともっと自分を出せるようにしたい。
自分を思いっきり出して自由なライフスタイルを手に入れられた
で、いちばん言いたいことはコレです。
周りに合わせて、周りの顔色を伺って、嫌われないようにして、ひたすらいい人を演じて…、みたいな生き方から離れて自分を出せるようになってから今の自由なライフスタイルに近づくことができました。
ぶっちゃけこれが一番でかい。
旅に出たい時に旅に出て、温泉に入りたい時に温泉に行き、北海道に行きたいと思えばふらっと旅にでたり。
読書がしたいと思えばスタバで1日中読書をしたり。
己の願望に素直に従い「こういう生き方がしたい」と思って行動してきただけです。
自分を出すようになって「周りはこうだから…」ではなくて「自分はこうしたい!」を貫く覚悟を持てるようになったんですね。
そのおかげでこうして平日の昼間からスタバで読書しながらこうして文章を執筆したり、旅館に泊まったり、行きたい時に北海道に旅行に行ったり、みたいなライフスタイルに近づくことができました。
多分、もしあの時、何ヶ月も罵声を浴びせられ続けて、ある日突然、起きてから意味もなく涙をボロボロと流すようなレベルまで耐えていなかったら今の自分はなかったと思いますね。
幼少期の「自分を殺す生き方が美徳」という価値観は変わらないままだったかもしれないと思うとゾッとします。
今こうして書いているコンテンツも僕の生き方のひとつです。
こうして人にシェアして誰かの役に立てばいいやくらいの感覚で発信できるようになれました。
「嫌われるとかどうでもいい。自分の軸を持ってる方が大事」
どうせ100%の好かれるなんて無謀なのだから。
そんなことをいちいち気にしていたって仕方がない。
そうしてきたおかげで今の生き方があるし、これからもそういう生き方を貫いていくと思います。
だからこそですね。
もしコレを読んでいるあなたが昔の僕みたいに「いい人・優しい人・マジメな人」と言われてそれを重荷に感じているのであれば。
「もっと素直に自分を出して生きてもいいんだよ」ということが伝えられたらなと思います。
素直になったら人生変わります。
最初はキツいかもしれませんが、やっていけば慣れます。
今こうして誰が読むかも分からないネット上に過去の恥ずかしい消し去りたい記憶を開けっぴろげに発信したって平気なレベルになれますから。
「コイツ、キモ」と思う人は思うだろうし
響く人には響くだろうと思って書いています。
僕と合わない人がどう思おうがどうでもいいんですよ。
なぜならその人が今後の僕の人生において関わってくることはまずないから。どうでもいい。シカトでOK。スルーでOK。そういう感覚です。
そうやってどうでもいい人に時間を取られるくらいなら、もっと時間を注ぐべき人と一緒に過ごしたい。その人たちのために時間を使いたい。
人生は有限ですからね。無駄は省いた方がいいです。
だから、あなたも「都合のいい人」で終わらないために自分をもっと出していきましょう。
そのほうが人生、いい方向へと傾いていきます。
というわけで、長くなりましたが。
ここまでお読みいただきありがとうございました。