「わずか1ヶ月でWEBサイトからの収益が80万に到達しました!」
「今日は収益祝いに30万くらいするルイヴィトンの財布を自分へのご褒美に買いに行きました!」
「平日から起業仲間たちと高級寿司を食べに行きました。最高です。」
…起業初期の頃、SNSで成功している人とか、キラキラした生活を送っている人、自由な生き方を満喫している人を見て嫉妬の炎をメラメラさせてました。
「悔しい!なんで自分は結果が出てないんだ!」という敗北感が僕を育ててくれました。
クッソオオォォォォォォォォ!!!!
って感じでしたね。
その嫉妬の炎をたぎらせて行動すると思考が結果にフォーカスします。
自然と売上を伸ばす行動に集中できた気がします。
いわば本当にやるべきことに集中するんです。
ちまちまアクセス集めに情報をテキトーに集めて薄っぺらい記事を書く、
なんとなく情報をインプットして終わる、
数万円で買った教材を1回読んで終わり、
とかではなくて結果を残すために本当に重要なアクションを意識できたんじゃないかなと。
嫉妬の感情のおかげで成功し続けられる。
なので、すごく感謝しています。
当時、ただただ情報食って終わって満足した気になってるノウハウコレクターの自分、ダサすぎないか、って気づいたんですね。
成功を勝ち取った彼らは
「行動した」から結果を手に入れた。
自分は「行動していなかったから」
大して人生変わらずにいた。
そんなささいな違いにすら気づいていなかったんです。
「ビジネスの勉強してるオレ、意識高くてかっこいい!」とか調子に乗って中途半端に勉強をかじって、万年起業準備中みたいになっちゃってる自分の滑稽さに気づきました。
いやいや、結果出てないのに何調子に乗っちゃってんだよ、って今なら思いますけどね(笑)。
特に自分と大して年齢の変わらない人とかが成功しているのを見せつけられるとパソコンに自然と体が向かって文章を執筆し始めるんですよね。
あと、インスタグラムでめちゃくちゃムキムキの男が美女と歩いている短い動画とかを見てやる気出してました。
というか今でも割とそんな感じですね。
あとは美女の写真とかもよく見てやる気を出してます。
InstagramとかYouTubeで海外起業家の動画とかはよく見ます。
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とある研究によると、男の本能は原始時代から存在する「女を手にする、守る」ための狩りにつながる狩猟本能が原始的な欲求だそうです。
狩猟脳を持つ男性は、常に獲物を狙う。そうやって生き延びてきました。
そして、おもしろいのは、カンタンには手に入れられない獲物ほど闘争心を燃やすんです。
努力もせず簡単に手に入る獲物は、その程度のものと見なされすぐに飽きが生じてしまう。
ですからそれを喚起させるようなイメージに触れると闘争本能を駆り立て、行動へと導いてくれます。
性欲とか競争とか支配への抵抗(自由)とか勝利とかですね。
現代社会で言えば己を高めて年収を上げるとか、美しい女性と付き合いたい、という欲求でしょうか。
スポーツを観戦している観客が選手以上にアツくなってしまって観客席で暴れたりして熱狂してしまうのも原始時代の名残に近いんだと思います。
闘いを見ることで原始時代の闘争本能が刺激されている。
狩猟本能を刺激するイメージを想起させるものに触れると男性はやる気が出始めます。
そうやって外部刺激に触れることで己を行動へと導くというのもひとつの手段だったりします。
僕はよくやっています。「こうなりたい」を既に達成している人を見て「俺もやるぞ!」と気合を入れて自分で自分を行動へと駆り立てていく。
自分より圧倒的格上に触れることで「お前は何この程度で止まってんだ」っていう心地良い危機感にさらされます。
「悔しいっ!!!」とか「何くそ!」という根性が行動へと駆り立ててくれます。
ほら、アレです。

©️ONE PIECE
ルフィが
「俺は弱いっ!!!!」
と初めてかっていうぐらい悔しさを露わにして暴れ散らかし、泣き叫んだシーンの心境になれるんですよ。
自分の弱さと向き合うことで初めて「強くならねば、前に進まねば」という気持ちになれます。
現実と向き合う。
己の弱さと向き合う。
失ったものに気づく。
自分がまだまだちっぽけな存在だと気づく。
そこからようやく再スタートを切ることができます。
現実を直視せず、己の弱さに気づかず見てみぬフリをして目を背けている限り本当の意味で行動を起こすのはなかなか難しいんじゃないかなと。
僕らは他人を通じて初めて己を認識できます。
外部から刺激を受けなければ自分の位置なんて分かりません。
当たり前ですけど、美女にアタックしたことない人間が美女にモテるかどうか判断できないのと同じです。
自分で勝手に「俺はモテない」と決めつけることはカンタン。
ですが実際にその現実を向き合うことが極めて難しい。
己の現実と向きたいたくない。
アレですね。
お腹が出ている人が鏡を見て自分のお腹を直視するのがちょっとイヤに感じてしまうあの感覚です。
僕はむしろその現実と直視することで己を磨こうとか、鍛えようとか燃えるタイプです。
なので見るだけでビクッとなって呼吸が浅くなり、鼓動がドクドクと速くなってしまうモノ。自分が求めているもの、目標に先で待っているモノ、
それをイメージさせるモノに日頃から触れると自然とやる気が湧き上がってきますよ。
そうして「あー、やる気でねぇ。ダルっ」みたいなダラけ具合からシャキッと立ち上がり目に炎を宿してコンテンツを書き始めます。
「ぶっちゃけお前何様なんだ?」って感じですけどね。
「イケメンですね」なんて人生で一度も言われたことないくせにイケメンに嫉妬してやる気出すとか、どんだけ身の程知らずなんだって自分に向かって言いたくなります。
でも、それでいいんです。
それをキッカケに行動し始められるならそれで十分だと思うんですよね。
目に炎を宿し、立ち上がり、
走り始められるならそれで良し。
で、ココからが重要な話になるんですけど…。
圧倒的格上を見て「自分とはちがうから」と思う人は成長が停止する。時が止まる。
圧倒的格上に触れる。
その時に
「悔しい」と思えるか。
「自分には無理」と思うか。
このどっちかによってその人がうまくいくかどうか大体決まる気がします。
結局ココだと思っています、本当に行動できるかどうかって。
「自分とは違う世界の人だから」とシャットアウトしてしまった時点で脳が考えるのをやめます。
逆に「同じ人間なんだから」と考えて、まったく同じとは行かないまでも近づける方法はあるだろうと考えて学び吸収し尽くす過程で自然と成長していきます。
細かい才能とかセンスとか以前の話。
「勝手にできないとあきらめる」のか「同じ人間なんだから学べるものがあるはず」と学習の対象にするのか。
ここで割と結果が出るかどうかが決まってしまう気がします。
「自分とはレベルが違いすぎるから…」と距離を置くことは思考停止です。それは学びのチャンスを自分から放棄しているということです。
成功したいと思っているくせに、勝手に理由をつけて圧倒的格上から学ぶのをやめるのは、ただ敗北感に感情を支配されているだけです。
悔しい!!うらやましい!!!
俺もああなりたい!
どうやったらなれるんだ!!!!
→頭下げて、謙虚になって
ひたすら学ぶしかねー、
コレです。結局コレ。
なのでオススメはパソコン画面で隣に「なりたい自分に近い写真」とか「到達したい景色」とかを見えるところに置いておくことです。
もしくは自分より基準値の高い人の言葉を目にする、とかですね。
そうすると現状の自分に対して間接的に「喝」を入れて気合を入れられるので。
僕は最近いいなと思ったのは「雄々しい百獣の王の画像」を隣に置くことです。ちなみにコレ。

©️National Geographic
“嵐の中、威風堂々と
縄張りを闊歩する百獣の王”
嵐の中を悠々と闊歩する百獣の王です。カッコ良すぎる。
嵐なんてまるでそよ風かのように悠々とした態度で歩いている。
この写真を初めて見た時はあこがれにも似た感情が沸き起こりましたね。
相手はライオンなのに、です。
堂々とした態度のライオンを見ていると自分なんてちっぽけだ。でもやるっきゃないという気持ちに駆り立ててくれます。
ナショナルジオグラフィックの「グレイテストフォト」の中にあった1枚の写真です。これを目の見えるところに置くと背筋が伸びます。
そうやって自分で自分の行動をコントロールできる仕組みを作っているからこそ、淡々と行動し続けられるんだと思います。
人間、どこまでいっても感情で動く生き物。
感情で動き、感情で決定し、感情で行動して、それを後になって理性で後付けするのが人間という生き物です。
「カッコいいオープンカー」を見たら欲しいと思い、そこからどうやったら買えるだろうか。ローンは組めないだろうか。どんな車が自分に似合っているだろうか、妻や恋人にどう納得してもらうための理由を考えようか、と「買うことを前提に」あれこれ妄想し始めます。
「限定販売のスニーカー」の写真を見れば欲しいと思い、どうやったら手に入れられるか、予約はできないか、転売されているものはないか、知り合いのスニーカー好きに譲ってもらえないだろうか、早朝から並べば手に入れられるだろうか、と
「欲しい」と心の底から思った瞬間、
「手に入れるにはどうすればいいか?」
しか頭の中にない。
そうやって感情的に『欲しい』と感じた瞬間から「どうやって手に入れる?」と思考が回転し始めます。
これはどんなに冷酷な人間でも同じです。
「〇〇したい」という感情や欲求には抗えません。
犯罪とかもそうですね。法律とか規範といった理性の役割を担う部分が辛うじて抑えてくれているわけで。
好きなものを買ったり食べたりするところから
だんだん次元が上がっていって
「こうなりたい」という感情に突き動かされて
自由な生き方を求めるようになったり、
もっと己の市場価値を高めたいと考えるようになっていきます。
そのすべてのキッカケは「感情」です。そこからスタートします。
とんでもない美女を連れた男を見てグワっと湧き上がる感情。
自分と大して歳が変わらないのに圧倒的に経済的成功を収めている人間に出会ったときの圧倒的敗北感。
そこから湧き上がってくる嫉妬と「オレも成功したい、成り上がりたい」という感情。
そういう感情と真正面から向き合えるかどうか。ココが極めて重要です。
自分を変えたいとか、成功したいとか、目標を達成したいと考えているのであればなおさら。
とにかく。
人間は感情で動く。それを論理で後付けする。
僕はそれを誰よりも自分がいちばん自覚しているからこそ、最初の勢いを生み出すためにあえて「嫉妬するような画像」とか「行動へと駆り立ててくれる画像」を常に目に入れるようにしています。
そうすると0.5秒で思考がカチッと切り替わります。
ベッドでゴロゴロしていても、その画像を見た瞬間スクッと立ち上がり、パソコンの前に自然と体が向かってしまうようなインパクトのある画像。
コレを常に目に入れておきましょう。
やる気が出ないとかモチベが出ないとかで悩むなら「欲しいもの」を目に入れろってことですね。
文章でも画像でも動画でもなんでもいい。
とにかくイメージが浮かぶものに触れること。そうすれば目に炎が宿り始めますから。
これはいわばルーティン、儀式のようなもの。
その日の気分に左右されることなく動き始められるので個人的にかなりオススメのモチベ維持法ですね。
毎朝目標を読み上げたり宣言するアファメーション?なんかもコレと同じようなものだと思います。
毎日毎日目標を読み上げているとだんだんメモを読み直さなくても暗唱できるレベルになってきます。
そうするともう頭の中では「いかにして目標を達成するか?」しか考えていません。
眠気でボーッとしていても、なりたいもの・目標を読み上げると思考がシャキッと切り替わります。
P.S.
ちなみに、iPhoneの待ち受けは大阪のリッツカールトンホテルの画像です。
将来はココのVIPルームを貸し切って少人数でセミナーを開くことが目標です。
いくらかかるかは知りませんが、とりあえず達成したいと思ったので。
見るたびに強制的に思い出すのですごくオススメですね。
P.S.S.
ちなみに僕がやっているようなことの逆をやり続けるとどんどん行動しなくなり、腑抜けて、夢も諦めて、インターネットだけで稼ぐとかあり得んとか、怪しいとかそういう「大多数の一般大衆」に考え方がどんどん近づいていきます。
Twitterとかそうですよね。
普通の生き方をしていて、毎日のようにグチを吐いて、自己投資もするどころか本も読まない、お金持ちを片っ端から批判し、引きずり下ろそうとしている人が大半です。
そのくせ「現金配りますTweet」がくるとリツイートしちゃうような人たちの生き方に触れれば触れるほど、どんどんそっちに近づいてきます。
日本全人口の大人のうちの1ヶ月に1冊すらも読破しない人が80%を越えるそうですから。
8割の人間が何をやるかって「暇つぶし」しかないですよね。
その矛先がヤフコメ、Twitterのつぶやき、YouTubeのコメント、とかです。
どうせ暇つぶしするんだったら自分を高めたりする方がよっぽど人生おもしろくなりますし、自分に自信も持てるようになって一石二鳥だと思うんですけどね。
起業は特にオススメです。
当たり前ですけど『世間一般の大衆』に近づけば近づくほどそっちに引っ張られます。
そう言いながら昔はどーでもいいこととかつぶやく側でしたけどね。ヒマだったので。誰も見てくれないのに自分のグチをぶちまけていました。本当に今思えばクソダサいですね。
Twitterはほぼ見なくなりました。見る時も本当に限られた人しか見なくなったのはそういう理由からです。
冗談抜きで、一時期リサーチ目的で1日中SNSを見ていたら日に日にネガティブ思考になっていって、グチとか不満とかを漏らすようになっている自分にビックリしたことがあります。
Facebook創業者のマーク・ザッカーバーグが「僕はとんでもないものをこの世に生み出してしまったのかもしれない」とSNSの存在に恐怖しているのを見たことがありますが本当にその通りだなと。
SNS見過ぎるととマジで心が疲弊してきます。
もっと旅の景色とか自然の景色を見ている方が幸せです。
だから旅が好きなんです。
旅先のホテルでSNSを見ていた時期とか、部屋から出るのも面倒になって1日中部屋にこもっていた時は自分で自分に衝撃を受けましたね。
良くも悪くもそういうのにすぐ影響されやすいタイプなのかも知れませんが…。
なので自分がなりたくない人たちの言葉に触れれば触れるほど当然「そっち」に引っ張られていきます。
意図的にそういうのを排除していかないと無意識のうちにどんどん影響されます。
こういう言い方をするとスピリチュアルに感じるかも知れませんけど、その人が日頃触れる言葉がその人の人生を作りますから。
そういう意味で僕がやっていることも実は科学的根拠に沿った成功プロセスだったりします。
というか用意された情報で判断するしかないなら「悪い情報源」しかないと、当然悪い方へと進んでしまうわけで。
「自分がなりたい分野の情報」に触れなくなったらオワリだと思ったほうがいいかなと個人的には考えています。
あと、神田昌典さんのこの本には、僕とまったく同じようなことをやって成功したことが書いてあってびっくりしました。
「馬鹿げているぐらい実現不可能な目標が叶ってしまった。しかも知らない間に。その秘訣をあなただけにコッソリお伝えしよう…。」
神田昌典
まぁ、とにかく。
悔しいとか嫉妬ができるうちはまだまだ成功できる見込みがあるということですね。
逆に、「自分とは違うから」と遠ざけてしまうようになってしまっているなら、少し考えを改める必要があるかも知れません。