どうも、らいあんです。
僕ら情報発信者にとって、ファンが生まれる瞬間というのはなにものにも代え難い喜びを感じます。
純粋に「価値を認めてもらえた瞬間」だから。
渋谷や新宿を歩いている時、たまにストリートで歌を歌っている人を見かけますけど、だいたい見向きされていません。
ほとんど誰も歌声に耳も傾けずスルーしていきます。
でも、たったひとり、目の前に座り込んで熱心に耳を傾けて歌を聞いてくれる人がいる。
「あなたの歌、いいですね!」と言ってもらえる。
ファンが生まれるって、そんな嬉しさなんじゃないかなと。
今回、改めて初心を忘れてはダメだなと思い直して、こうしてコンテンツ化しています。
「誰に向かって話すのか?」
その初心を忘れてはならない、というお話。
「私は目が見えませんが、いつもメルマガ楽しく読ませていただいております」
「え!?」
というのがそのメールが届いた時の印象でした。
あまりにも信じられなくてイタズラメールだと思ったのも事実です。
が、中身を読み進めていくとその疑問は晴れました…。
当時発信していたのはいわゆるお勉強系のメルマガ。
僕自身の実体験をウリにして発信しておりました。
で、ある日届いたメールがこの記事のタイトルにもある「目の見えないメルマガ読者のファン」からのメッセージ。
いつも励まされています。
らいあんさんの文章が好きでいつも何度も読み直しています。
読むたびに刺激がもらえています。
などなど。
で、なんで送ってくれたかというと彼自身の決意のメールだったんですよね。
現在は彼女と二人三脚で勉強をがんばっている、と。
で、実はモチベに左右されたりしてウジウジして行動できていなくて。それを隠すために勉強したフリをしたりしてごまかしてきていた、と。
なんでメールを送ろうかと思ったのかというと「本気」になれたからです。いつも挑戦する勇気をもらってます。
といった感じの内容でした。
目は見えないのにどうやって文章を読んでいるのか疑問だったので聞いてみると、メルマガの内容を音声読み上げソフトにかけて読み上げてもらっているとのこと。
そもそも僕の中では目が見えない人の勉強の仕方すら知りませんでしたから世界がグッと広げられました。
で、ですね。
…これ、すごくないですか?
いや、僕がすごいとかそういう話じゃなくて。
目が見えないのにどこの誰とも分からない僕のメルマガを読んで勉強して行動して、
「勇気をもらえます」とまで言ってくれて、
それで実際に現実が変わっていってるって奇跡だな、と
何もなかった個人にファンが生まれ、情報発信によって変化していく人が生まれていく。
改めて情報発信の凄さを実感しました。
文章の向こうにいる顔を常に思い浮かべる
で、何が言いたいかというとコレです。
たったひとりに向かって発信するからその人に響くものになる。
オーダーメイド。カスタマイズ。
画面の向こうには常に人がいる。
多分、あなたも聞いたことがあると思うんですが、
ブログの書き方について教えているサイトで「たったひとりに向けて書きましょう。」とか「校長先生の話がつまらないのを例に挙げながらひとりに向かって話す重要性」を伝えている記事とかはよく見ると思うんです。
もちろん僕もずっと「ひとりに向かって話せ」と伝えてきていますし重要な視点だと考えています。
で、それを「理解」ではなくて「腑に落ちた」のが目の見えない読者から感想をいただいたときでした。
「あぁ、こうやって行動してくれる人に向けて伝えてきたんだよな」と改めて思い直しました。
画面の向こうで読んでいる人を思い浮かべ、そのたったひとりに向けて話す。
その感覚が持てるようになってくると文章力とか関係なくファンが生まれ始めます。
ひとりに向かって話すというのは…
で、ひとりに向かって話すのが大事と聞いてやってしまうのが「無意識に上っ面だけで語ってしまう」というパターン。
大事なのは本気で相手の気持ちに立つということです。
でないとまったく響かない文章になります。
これは例えばなんですけど。
「僕も昔いじめられていました。イジメはとっても辛いですよね」
と無意識に分かった気持ちになって話してしまうパターン。
これではまったくピンときません。
というかこの文章だと本当に虐められていたのかどうかすら分からない。
下手すれば
「アンタに俺の気持ちが分かってたまるか」
と伝えたい人からむしろ反感を買います。
そうではなくて、
「これは小学生の頃の話です。
僕はある日突然友人たちから無視されるようになりました…。
『おはよう』と話しかけても顔を背けられ、相手にしてもらえなかったんです。
『なんで無視するの?』と聞いてもニヤニヤしてまったく取り合ってもらえない。意味がわかりませんでした。
結局その日は誰とも話すことなく学校の1日が終わりました。
学校で一度もおしゃべりしなかったのはその日が人生で初めてでした。
なにより辛かったのはそれまでずっと一緒に登校したり下校したりしていた人が急にいなくなってひとりぼっちで歩く時間です。
周りからはヒソヒソと『あの男の子、なんでひとりで帰ってるのかな…?』と陰口を言われているのを聞いた時から、
小学生だった僕は周りからの目をひどく気にするようになり、人と関わるのが日に日に怖くなっていきました…。
それから地味だとかキモいとか悪口も言われるようになり…。」
どうでしょうか?
読むのも目を背けたくなりませんでしたか?
まぁ、僕の小さい頃の実体験なんですけどね。
今では小学生の軽い遊び感覚で始まったイジメなんだろうなと思ってこうして人にさらけ出すネタにできます。
イジメられたおかげで孤独に耐性ができて、ひとりで研鑽する時間を積みあげることができました。
そのおかげで普通の人と違う生き方ができているのでむしろラッキーだったなと思ってます。
が、当時は玄関を出て学校に向かう時にくつを履きながら泣いたりしていましたね。
玄関で後ろから「いってらっしゃい」と送り出してくれる母親を心配させたくなくて泣いてるのがバレないように振り返らないまま「行ってきます!」と元気なフリして登校してました。
で、玄関を出てすぐはいつも涙で視界がぼやけてました。
…みたいな感じで「小学生の時に虐められたエピソード」を語ることで本当の意味で相手に「あなたの気持ちわかりますよ」が伝わります。
テクニックなんかじゃ伝わりません。
口先だけで「あなたの気持ち分かりますよ」じゃ伝わりません。
で、たったひとりに向かって話すのってこういう感覚なんですよ。
とにかく徹底的にひとりに向かって「どうやったら伝わるだらうか?」と思考し続ける。
というより、おそらく僕の文章って長いと感じることが多いと思います。
なんで長いかって「コレじゃ伝わらんだろ」と思うから自然と長くなります。
たとえ話を入れたり、実体験を語ったりするのも伝わらない前提で考えているから。
わかってもらうためには自然と文量が増えます。
短く伝えたいと日頃から悩んでいるんですけど、分かってもらおうとすると長くなってしまう悪いクセがあります。
でもそれぐらいやるからこそ熱狂的な反応がもらえるんじゃないかなと。
人を動かす文章を書けるようになりたいなら…
人を動かす文章を書けるようになりたいなら「文章を書くという意識を捨てる」
コレがすごい大事です。
結果が出ません…とか売上が上がらないです…と悩んでいる人のメディアを読ませてもらう度に思うんですけど。
薄っぺらいんですよね、全体的に。
「書けた!終わり!今日もがんばった!」
っていうのが透けて見えるというか。
どれだけがんばったとかって相手にはなんの関係もありません。
あなたが5000字書こうが10000字の超大作を書こうが、読み手は読むか読まないかを自由に決定できます。
興味を持ってもらえないと読んですらもらえませんし、興味を持ってもらったところで分かりにくいところがあれば読み飛ばされて終わりです。
ましてや説得力が足りなければ「ふーん、この人なんかいいこと言ってんね〜」で終わりです。
その15秒後ぐらいにはどんな内容だったのかさえ記憶の彼方にさっぱり消え去ります。
そんな何のインパクトも残さない文章で終わらないために、ひとりに向かってどうやったら伝わるかを考え抜くんです。
僕はよくそれを「文章と格闘する」と表現してます。
文章と闘う。
どうすればもっと伝わるか。
もっといい表現はないか。
考えて考えて考え抜く。
どれだけすごいことを語っていようが相手にそれが伝わっていなければ存在していないのと同じですから。
ほとんどの人はどれだけ人が他人に興味ないかっていうのが分かっていない。
だからインスタントラーメンみたいにポンポン消費されるようなコンテンツを書いてしまい、結局忘れられてしまうんですよね。
そういう人ってストリートライブを1回でいいから経験してみるといいと思うんですよ。
あとビラ配りとかもそうです。
僕も一時期ビラ配りをしてました。
当時働いてたレストランの宣伝のためにビラ配りをやったこととかあるんですけど、ほんとみんな他人に興味ないです。
みんなほんとに忙しい。
顔も合わせてくれない。
最初はそんな感じなのでコッチは必死であれこれ工夫し始めるわけです。
で、割と効果があったのは「ひとり」に向かって話すこと。
「誰か興味ありませんか?』ではなく。
「そこのキレイなお姉さん!」と声を出して「イタリアン料理お好きですか?」と今ならナンパと間違えられてもおかしくないようなビラ配りをしていた。
というか、ビラ配りなのにもはやお客さんがそのままお店に入ってしまうみたいなことがよく起きてました。
「お前がビラ配りする日はやたら人が来るんだけど何か悪いことしてる?」とホールリーダーに疑われたりしてましたけど…(笑)。
今思えば居酒屋のキャッチみたいですね。
ただ何が違ったかといえば「格好」だと思います。
黒いサロン(腰に巻くエプロン)に紺色のYシャツでしたからね。
ちょうどぴったりなのがありました。
まさにこんな感じの格好でした。

清潔感があるし、短くさっぱりした髪型でニコニコ話しかけてくる。
いわば第一印象、つまり一瞬の評価が居酒屋のキャッチより高いわけです。
なので、女性のお客様とかカップルの方に特に反応が良かったですね。
まぁちょっとお洒落なお店だったのもあったと思いますが。
で、忙しくて他の予定があった人もスケジュールを変更してレストランに興味を持ってくれる。
「お前、制服着てるとパッと見の雰囲気だけは速水もこみちだわ。で、そのあと残念な気持ちになる。」とバカにされてましたけど…。
今考えると、すごいことしてたなぁと思いますね。
めちゃくちゃ集客に貢献してました。
チラシ配るだけで終わらず、お客さんをお店に入れていたわけですから。
…と、話がズレてしまいました。
とにかく人は他人に興味がありません。
ホントに僕らは他人に興味がない。
だからまず「興味を持ってくれないたったひとり」にどうしたら振り向いてもらえるのかを考えなきゃいけない。
その大前提を超えるために必須になるのが「ひとりに向かって話す」ということなんです。
なので今日から文章を書くという言葉を今日で忘れましょう。
書くではない。
文章と格闘する。
ストリートライブで歌を歌うイメージする。
当然、誰も興味を持ってくれないのは当たり前。
ビラ配り、ティッシュ配りをするつもりで考える。
声をかけても誰もビラを受け取ってくれない。
たったひとりに向かってラブレターを書くつもりで情熱的に文章を綴る。
その人にどうやったら好きだという気持ちが伝わるだろうか?と全力で考える。
書くんじゃなくて、話しかける。
語りかける。時には叫ぶ。
あなたが経験したこと、学んだこと、気づいたこと。
それを伝えたいと思った相手。
その人に向かって「どうやったらもっとわかってもらえるかな?」と考えながら文章を打ち込んでいく。
「ここで疑問を持つだろうか。」
「この例え話は分かりにくいだろうか。」
「この話をしたら印象に残るかもしれない。」
そうやってすべて「相手のため」に語っていく意識を持つ。
これができるようになってくるとマジで反応変わりますよ。
文章には熱が宿る
あとこれ、知らない人多いんですけど。
感情のこもった文章って熱が宿るんですよ。
例えばこれ。
割と勢いで書いたんですが読んだ人から「メラメラとやる気が燃え上がってきました」みたいな感想をもらいました。
なぜなら、やる気が出なくてウダウダしている人に『喝!』を入れるつもりで書いたから。
うつろな目をしながら朝の満員電車に乗って 人ごみに押しつぶされそうになりながら 「はぁ…」とため息をついて人生退屈だと思っている人に『気合い』を入れようと殴り飛ばす勢いで書き上げた記事だから。
あえて文字が崩れているところも無視してそのままにしてます。
でもそれぐらいの熱量を持って書いたから響くものがあったわけで。
コレ、自分で読み直してもやる気出ますよ。
定期的に自分で読み直してるぐらいです。
なので、「ひとり」というイメージがもし浮かばないなら過去の自分がオススメです。
自分相手なら思いっきり言えるじゃないですか。
遠慮なんてせず思いっきり伝えられる。
過去の自分に対して喝を入れたりとか、気合を入れたりとか、そうやって好き放題ぶちまけて全力で感情的に訴えかけたコンテンツは割と反応がいいです。
不思議なんですけど。
文章に熱が宿っているから伝わる。
なのでですね。
丁寧な文章とかどうでもいいです、ぶっちゃけ。
僕の文章もわりと崩れ放題です。
でも読む人は読んでくれる。
ハマった人は熱烈な反応をくれる。
なぜなら、丁寧さよりも熱を込めているから。
そうした方が伝わると知っているからです。
なので、チャチャっと情報まとめて「おわりー!」だと読者は見透かします。
文章でなんとなくわかるんですよ。
「あぁ、コイツどこかで聞き齧ったことしか言ってないな。薄っぺらいな」っていうのが分かるんです。
その瞬間読み手から「あぁ、こいつは便利な情報を教えてくれる人だな」と思われるだけです。
熱狂的なファンになってくれる可能性は極めて低くなります。
薄っぺらいメッセージはすぐバレる。
逆に言えば目の前のひとりをファンにすることができれば、自ずと結果はついてきます。
「99人に嫌われて、たったひとりに愛されろ!」
結局言いたかったことはコレです。
よく「情報発信してて批判されたり嫌われるのが怖い」って言う人いるんですけど基本的に99人に嫌われてOKですよ、と伝えてます。
ぶっちゃけ自分のことを嫌いだろうがどうでもいいからですね。
熱心に読んでない人もどうでもいい。
自分が本気で伝えたい人はその人じゃないから。
「俺はアンタに向かって話しかけてるんだ」というたったひとりにだけ伝えるような意識を持つ。
自分が伝えたいたったひとり。
その人に少しでも響くように思考を巡らせています。
僕が伝えたいのはその辺の人たちじゃない。
本当に求めている人に向けて書いているから。
なので自分で書いたコンテンツを読み直して涙を流したりします。
コレ、気持ち悪いと思うかもしれませんね。
でもそれでいいんです。
それぐらいの熱量で書いているから。
分かる人に伝わればオッケー。
99人に嫌われていい。
なんなら全員に嫌われる勢いでいい。
で、そのかわりたったひとりがあなたに熱狂するぐらいの強烈なコンテンツを作りましょう。そのたったひとりを救うために全力になりましょう、と。
オススメは過去の自分です。
3ヶ月前の自分でもいい。
ソイツに向かって
「オイ、起きろ!目を覚ませ!行動しろ!勉強しろ!学べ!」
と伝える熱を持って文章書いてみてください。
一度勢いに任せてソイツに語りかけてみてください。
明らかに今までとは違う反応が上がってきます。
ウソだと思ってやってみてください。
何度も言います。
感情を込めた文章には熱が宿る。
熱を入れる。
それぐらいの気持ちで書かなければまず見向きされません。
文章を書くという意識を捨てましょう。
「ひとりに向かって語りかける」というイメージを持つ。
これ、文章テクニックとか以前に大事です。すごく大事。
いったい誰に向かって話しているのか?
これがハッキリしていない場合、すごく多いので。
コレが意識できるようになれば自ずとファンも生まれます。
洗練された文章はむしろ反応を下げますからね。気をつけましょう。
では。