「なぁ、らいあん。このサイトめっちゃ勉強になるぞ。しかもこの人めっちゃおもしろいし。」
「へぇ、どんなサイト?」
…最近、友人がスマホであるサイトを見せてくれた。
友人はキャリアアップのために勉強を始めたと言っていた。
だからそれに関係する分野かな?
と思いつつ話を聞いていた。
「これこれ。〇〇ってサイトなんだけど。」
…は?!ウソだろ!?
なんとそのサイトは僕が別のペンネームで運営しているサイトだった。
友人はそれを書いている人間が僕だとは知らない。
個人のブログコンテンツに将来性はまだまだある
ブログはオワコンだなんて言われるけれど、その人の頭がオワコンなんじゃないかなと。
…ちょっと言いすぎました。
すいません。
でも、過去の自分のブログとか振り返ってみてそうとしか思えないんですよね。
クソつまらないコンテンツ書いて人が集まるわけがない。
逆に、役立つコンテンツ、価値になるコンテンツ、読んだ人が行動してくれそうなコンテンツを積み上げていくと読んだ感想までもらえるようになった。
たとえばある時、目の見えないメルマガ読者に感想をもらった事もある。
目が見えないのに文字どうやって読むんだよ、と思ったけど、音声読み上げツールを使ってまで読んでくれていた。
「いつも勉強させていただいています。」という嬉しい声までもらった。
しかもその分野はもう散々、稼げないだのオワコンだのレッドオーシャンだのと言い尽くされている分野である。
そんな血みどろのレッドオーシャンに後から参入してそんな成果をあげられるようになった。当然、コンテンツは売れたしファンもできた。
…なので多分、
オワコンだなんだと言う人ってどこかで聞き齧った内容、リサーチした内容をテキトーに並べて、テキトーにかき集めて発信してPVをひたすら集めて、薄っぺらい内容しか発信してないんじゃないかな、と。
で、結果大して稼げなくて「ブログオワコンです!次はTwitterの時代ですよ!」と叫んでいるんじゃないでしょうか。
なのでですね。
つまらないコンテンツを出してしまっている発信者とか、下手に聞き齧ったテクニックだけを駆使して何とかしてやろうとする素人が増えただけじゃない?と、そう思うわけです。
みんな右にならえー!で同じような内容を同じようにロボットみたいに冷たい無機質な文章で書き上げ、ひたすらアクセス集めに奔走し、アクセスが下がった上がったで一喜一憂して。
検索すれば、また別の同じような情報を同じように語り、同じような内容をまとめて、同じような結論に辿り着き。
で、それを見た人がまた同じようにちょっとパクってリライトして、みたいなのが延々と続いていく…。
なので、とあるテーマで書こうと思った時、みんな同じことばかり言ってるのを見ると「ニヤリ」としてます。
「しめしめ。お疲れ様です。ご苦労様です」と。
アクセス集めゲームの世界に手を出してしまった時点でもうほぼ終わりです。
一生、そこで倒れるまで戦わされるハメになる。
相当根性があるか、もう感情を殺して作業ロボットになるしか生き残れる道はありません。
ちょっと優れたアイデアが出ればそっちに全部持ってかれるわけですから。
“誰かがちょっと詳しい情報を書いた。それだけで終わるようなコンテンツ作成に手を出した時点で終わり。“
僕はそう気をつけながらコンテンツを書いています。
ちょっとリサーチして出てくるような薄っぺらい内容をちょっとまとめてひたすらブログ記事を書く。死ぬまでアクセス集めに奔走する、なんてのは絶対に避けたい。
肉体労働みたいに汗水垂らしながら必死にブログ書き続ける生き方をして自由な生き方をしたいと求めてるのって、うーん…と思ってしまいます。
しかも誰かにマネされたら終わり。
ちょっと詳しく書ける人が出てきたら終わり。
で、ブログが吹っ飛んでアクセスがなくなり「やーめた」となって挫折するんだと思います。
その分かりきった最悪なシナリオのために情報まとめてひたすら記事書いて…。貴重な努力と時間をそこに費やすのって本当にもったいないと思います。
…コレを読んでいるあなたは絶対にやっちゃダメですよ。地獄に堕ちます。
そういうのはその道のプロたちに任せておきましょう。
ただ、もちろんある程度の作業量は必要です。必須。
そもそも生み出さなければ何も始まりません。
ある程度の作業量というのがないとそもそも認知すらしてもらえませんから。
でも、本来、ブログってなんでしょうか?
個人がブログで発信するってなんでしょうか?
わざわざ誰かがちょろっと調べれば書けるようなレベルの情報を淡々とまとめてアクセスを集めることが個人ブログの発信なんでしょうか?
それってわざわざ自分がやる意味あるでしょうか?
これは例えばなんですけど。
どっかの企業が「よし、やるか」と腰を上げて人員を総動員。
金、時間、人員という使えるリソースをぶっ込み、
1日1000記事単位でニーズリサーチし、
上位表示されているコンテンツを見直し、
それらをまとめていいところをかき集め、
上位表示されているどのコンテンツよりもいいものを書く。
なんて戦略を取られたら個人に勝ち目なんてまずありませんよね?
もしそんなマニュアルをつくって何百人単位でお金もリソースもぶち込んでとあるひとつの分野・ジャンルにぶち込まれて上位表示を独占されたら、僕たちのような弱者や零細の発信者は敗北必至です。
物量やリソースで勝負して大手に勝てるわけがない。
…と早い段階で気づけて本当によかったです。
ひたすらアクセス集めなんて不毛すぎる。
血みどろアクセス集めバトルで命を散らす前に気づけて本当によかった。
大事なのは「アクセスをどう活かすか」だと知ってから見える世界がガラッと変わりました。
生き残れず消えていくブログ発信者の特徴
なぜ、多くのブログ発信者は淘汰される未来を辿るのか?
何年も続けていると実感するんですが、大半のブログは消えていきます。
まぁ、1ヶ月継続できずにブログを辞める人が全体の90%だって言われてますから。
続けるだけで勝てちゃうってすごい甘い世界だなと感じます。
スポーツとかだと続けるだけじゃ辿り着けない『才能のある人だけが踏み入れられる世界』っていうのがありますから。
じゃあ、それで頑張っても月5000円という高校生の小遣い程度の成果も挙げられず消えていってしまう情報発信者の特徴とは?
「シンプルにつまらないから」
これは僕自身、個人的に自分を振り返ってきて思います。
僕はいつも自分のブログ見直しながらこう思ってます。
「お前、つまらんブログ書くな!」
と。
なのでつまらんくないと思ってもらえるためにいつも必死です。
例えばなんですけど、同じ50記事書いたとして結果が出る人とそうではない人の違いは何か?
結果が出るコンテンツの要素は読み手に価値を提供できたかどうか。
価値提供の有無。コレが結果を左右します。
役立った、有益だった、よかった、面白かった、いろんな言い方はあれど「誰かにとっての価値になったから」です。
これが大枠です。
お得情報とか便利な情報を伝えるのももちろんひとつの手段。
ただ、その中でもシンプルお手軽に価値を生み出す方法があるんです。
なんだと思いますか…?
それは「違いを出す」ということ。
「違い」とはすなわち希少性。レア。他にはない。
他では聞けない話なんかもそうですね。
たとえば芸能人がベラベラ喋るだけで、人がそれを何時間も見るのはなぜでしょうか?
下手すればその辺のオッサンみたいな人がベラベラしゃべるのを画面越しに何時間もずーーーーーっと見ているわけですよね?
個人的な意見ですが。
「その芸能人たちの考え方、価値観が人とはちがうから」ということじゃないかなと。
・自分と違うからおもしろい。
・一般的な感覚と違うからおもしろい。
・バカだからおもしろい。
・ぶっ飛んでるからおもしろい。
・芸能人なのに庶民的でおもしろい。
すなわち「芸能人から見た視点」から語られるコンテンツに価値が生まれているわけです。
僕はB’zが好きなんですけど、ボーカルの稲葉さんが犬を散歩していたっていう事実だけでその記事に飛び付きます。
どんなウェアを着てるんだろう?どんな犬を飼ってるんだろう?時間帯は朝かな?とか気になります。
「きっと普通じゃないんだろうな」という期待で気になってるわけです。
なんで犬の散歩してるんだろう。健康のため?それともライブに向けて体力づくり?
とか疑問が止まらなくなります。
もちろん芸能人は「知名度」という普通の人との違いがそもそもあるよねっていう話になってしまいますが…。
僕は稲葉さんの「考え方や見方、ライフスタイル」に興味があるわけですね。
で、根本的に言えば「自分と違うから」興味を持つわけです。
僕ら個人が魅力ある発信をするにはどうすればいいのか?
じゃあ、僕ら一般人はどうすればいいのか?
人と異なる視点を変えるなら、違う視点を持つ人に触れるのが1番。
そのとってもカンタンな方法を教えてくれる人がいます。
小売業を作り変え、
『世界でもっとも裕福な人物の上位30人』に選ばれた
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスが語る
「顧客視点に立つ方法」があります。
“しかし重要なミーティングでは 、幹部やマーケティングの達人、ソフトウェア担当者の席の傍らに誰も座らない椅子が一脚置かれる。その部屋でもっとも重要な人物が本当は誰なのか、出席者に思い起こさせるためだ──それは顧客のことだ。”
「人を動かす、新たな3原則 売らないセールスで、誰もが成功する! 」
ダニエル・ピンク
誰も座らないイスを置くことでそこに顧客がいることを忘れないようにする。
つまりいつ何時でも顧客の視点に立つために置いている。
顧客視点を絶対に忘れないためにやってるわけです。
僕らもコレをやればいい。
視点を変えてみるわけです。
あるいは別の視点から物事を見てみる。
例えば、「道」というテーマ。
人によってはいろんな見方があります。
・四つん這いになって生きている犬の視点に立って考えた「道」はどうだろうか?
・経営者の視点に立って考えてみる。経営者にとって「道」とはなにか?
・旅人の視点に立って考える「道とは?」と考えてみてもおもしろいかもしれない。
そうやってフィルターを通すことでユニークなアイデアが生まれます。
アイデアは自由にのびのびと考えるのも大事ですが、あえて縛りを設けて範囲を狭めることによってユニークなアイデアにつながります。
じゃあ、それを「あなたというフィルター」を通して考えるとどうだろうか?
既にあるコンテンツだとしても、そこにあなたの経験、価値観、意見、考え方を混ぜて語ってみれば…?
あなたのように仕事で悩んだり、勉強で悩んだり、人生で悩んだりしている人はいるかもしれません。
ですが、そこで得た経験やあなたの考え方は誰のものでもないあなた自身のオリジナルです。
…これは、情報発信でゼロから最速で成果を出す秘訣だったりします。
とりあえずブログオワコン論争はシカトでOKです。
ブログだろうがTwitterだろうがYouTubeだろうがそれらはあくまでただのプラットフォームです。
いわば「場所」が違うというだけ。
どの場所だろうとそこにいるのは人間ですから。
人に価値提供をするという視点さえ見落としていなければまず外れることはありません。