“The wolf on the hill is not as hungry as the wolf climbing the hill.”
– Arnold Schwarzenegger
『丘の上に立つオオカミは丘を這い上がるオオカミほど飢えていない』
− アーノルドシュワルツェネッガー
「飢えたオオカミのような内なるハングリー精神が、人生を動かす起点になる。」– 人物不詳
From:らいあん
一般大衆は腹を太らせたヒツジばかりだ。
僕たちはほとんど満たされて生きている。
日常の中で飢えていると感じることなんてまずない。
飢えていない。だから成功したいと思っても成功しない。
こうなりたいと思っていてもなれないまま月日だけが過ぎていく。
コンビニに行けばおにぎりを買ってワンコインでもお腹を満たすことができる。
腹がずっとギュルギュルと鳴って、胃が「何か食わせろ」とノドまで胃液が昇ってくるほど空腹になることは人生においてまずない。
「空腹は生物の闘争本能を引き出す」
理化学研究所や東京大学などの研究チームは、ゼブラフィッシュ(インド原産の淡水性熱帯魚)が空腹状態で闘争すると、エサを食べた状態で闘争するよりも、勝負を諦めにくく、負けにくくなることを発見したそうです。
「お前は仕事のために週末ゆっくり休むのか、それとも休日にやりたいことをやるために働いているのか、どっちだ」
「お前は休むために働いているのか?」
当時、憧れだった上司に開口一番に言われた言葉。
当然、即答できなかった。
どう考えてもその時の自分は疲れた体を休めるために週末を楽しみにしていたから。
「あ~、また月曜日が始まる…」と鬱になりながら職場へ向かい、休日はただ休めるための時間。
別に死ぬことはない。
だから飢餓感を感じることもない。
そういえば最近、昔の同僚に会う機会があった。
「俺もお前みたいにブログ書いたら稼げる?教えてくれよ。」とヘラヘラした態度で聞いてきた。
「そうだな。休日に10時間ぐらい書けばできるようになるんじゃない?」と言うと「へ?」と固まっていた。
本気で何かに打ち込むほどの挑戦をしたことがない。我を忘れてのめり込むほど何かに夢中になったことがない。
そういう人たちは大体、成功した人を見て「アイツはたまたまラッキーだったんだ」と言う。
イチローを見て「イチローすげー」という小学生みたいな感想しか持たない。
定食屋で大谷翔平が活躍したニュースがテレビで流れている時、隣の席に座っていたヨレヨレでしわくちゃのシャツを着たおっちゃんが「なんだ、若造が。もっと気張らんかい!」みたいなことを叫んでた。
外野からヤーヤー言うのはそれはそれで楽しんだろうな、と。けれどおそらくグラウンドに立った人にしか分からない緊張感とか孤独感とか、周りからの期待されるプレッシャーとかを感じたことがないんだろうな、と。
テレビに向かってあれこれヤジを飛ばし、文句を言い、あれこれ意見するのは楽しいからやっているんだと思う。
で、テレビにかじりついて楽しいのかもよくわからないような毎日を死ぬまで過ごす。
他に人生の楽しみがないのか?とも思ってしまう。
マイクを持ってステージに立ったことがないヤツにステージで感じる緊張感なんて分からない。
そういえば昔、アマチェアライブにバンドで出た記憶があるけれど、ぶっちゃけ演奏中は何も頭になかった。
「ギターを弾け、弾くんだ!!!!」
これしか頭になかった。
演奏している間、世界がまるでスローモーションになったかのように感じた。
ただ目の前の音楽に合わせてギターを弾くこと以外何も頭になかった。
下手くそすぎるレベルのギターだったけれど無我夢中で弾いたのを覚えている。
でもある時、電車内でスマホ画面のYouTube動画を見ているおっちゃんふたりが「なんだあいつ歌下手だな」とか「もっとマシなバンドはないもんかねぇ。時代は変わったよ。」とまるでどこぞの偉そうな音楽評論家気取りで爪楊枝を片手にブツブツ言っているのを見て怒りが湧き上がってきた。
ステージに立ったことがない人間がいったい何をぬかしてるんだ。
「ふざけるな。お前がマイク持ってステージに立ってみろよ」と。
飢えたオオカミになれば人生は変えられる
世間でいう成功した人、偉大な成果を成し遂げた人は例外なく「飢えたオオカミのように成功することに夢中になった時期」が必ずある。
彼らには寝食を忘れ、ただ「成功したい」と夢中になった時期がある。
『僕は死ぬほど勉強しました。絶対に僕より勉強した人はいない。
なぜか?
途中で肺炎にかかっていたことにも気づかないぐらい、「なんだ、風邪か?」とゴホゴホ、ゼーゼーいいながら頭もガンガンして、それでも一切休まずに一度も授業を休まずに、いつも前列のど真ん中で先生を食い入るようににらめつけて勉強した。
トイレに行く時も教科書を絶対に手から離さなかった。教科書を読みながらトイレに入る。道を歩くときも教科書を読む。車を運転するときもイヤホンで講義の復習をしながら、寝る時間だけ休んだ。その寝る時間も極限まで減らして。寝る時間以外はすべて勉強する。
「英語が分からん?」そんなことわしゃ言い訳に使いたくない。
そうして僕は物理的な限界を越えるぐらい勉強しました。』出典:孫正義のスピーチより
孫正義はアメリカ留学中、自分が肺炎にかかったことすらも気づかないぐらい勉強に夢中になった。
それぐらいハングリーになって夢中になるから成功する。
ところで、これを読んでいるあなたはどうでしょうか?
最近、それぐらい夢中になったものはありますか?
ほとんどの人はハングリーになれずに腑抜けた生き方をしている…
大人になると熱中できるものが減っていくらしい。「趣味が持てない」と相談されたこともある。
「何にも本気になれない。けれど働いておけば別に死ぬことはない。退屈だけれど満たされている。不思議な気分だ。
だから別にお前みたいに新しく何かにわざわざ挑戦しようなんて思わないね。」
と語られたことがある。
僕らは大人に近づくにつれて、挑戦することがなくなっていく。
なぜかと言われれば「あきらめてしまう」のがいちばん大きいと思う。
たとえば男なら誰もが一度は、ヒーローになりたい、お金持ちになりたい、美女を抱きたい、人に認められるような人間になりたいと思う。
でも、どこかでつまづいてあきらめてしまう。
「現実を見なきゃ。夢をいつまでも追いかけるなんてダサい。」
そうやっていつのまにか夢を見ることを忘れ、かつて夢を持ったことすらも忘れる。
ほとんどの人が変われないままでいるのは…。
「何がなんでも手に入れたい。いや、絶対に手に入れてみせる。」
というハングリー精神にまで至れていないから。
『俺はな、一度盗むって宣言したら殺されたって盗むぜ』
『なーに…壁なんてものは越えるためにあるのさ』− ルパン三世
もし本気になってみたいなら、まずハングリーを感じられる場所に足を踏み入れればいい。
退屈な日々に不満がある。何かやってやりたい。
そう思うならまずやることは自己啓発本を読むことではない。
ハングリーを感じることだ。
「こんな美女とデートを満喫できたら最高だな!」
YouTubeのコメント欄でも本音がぶちまけられていた。
湧き上がってくる気持ちにフタをするな。
・グラビアアイドルみたいな抜群のスタイルをした美女を抱きたい。
・高級寿司を味わってみたい。
・1本数十万のワインをじっくりと深く味わいながら時間を過ごしたい。
「たった一度でいい。味わってみたい」
という這い上がりの衝動が行動へと駆り立ててくれる。
そして挑戦を続けて「もっと、もっとだ」と挑戦を続け、気がつくと遠いところにたどりついている。
本気には例外がない。ただ目的を遂行するために己を賭して戦う。
「終わりだ。私たちは死ぬのだ。運が悪ければ捕まって捕虜にされる。」
家族のことが頭をよぎった。これからどれほど恐ろしいことになるのかも。まず最初に死ぬ覚悟を決めた。
弾丸を撃ち続けた。が、敵はそれでもさらに近づいてくる。私は突撃を受けた時のことを考えはじめていた。
拳銃を使い、ナイフ、両手ーなんでも使う。そして死ぬ。
タヤのことを考えた。彼女をどれだけ愛しているかを。雑念はすべて振り払い、戦闘に意識を集中させた。(出典、アメリカンスナイパー)
本気とは戦場の兵士のような心境のことを言う。
「時間がないから、余裕がないから、疲れているから」などという戯言すらも浮かんでこない。
本気になる。
そのために夢中になれる。
飢えた衝動を湧き上がらせてくれるモノを見つける。
たとえば、普段会えないようなレベルの美人がいる所へ足を運ぶ。
給料をはたいて回らない寿司を予約して食べに行く。
いつもと違う場所、たとえば高級ホテルのラウンジへランチに向かう。
その場所へ行くために小綺麗な格好をして向かう。そのために服を買う。
じゃあ服が似合うような男になるためにスタイルも維持せねば、とジムに通い始める。トレーニングだけじゃダメだと気づいて食生活も改善し健康に気を使うようになる。
ハングリーをキッカケにあらゆることに挑戦する意欲が湯水のようにドバドバと湧き上がってくる。
「ハングリー」を駆り立ててくれる場所、モノ、ヒトに触れると挑戦する意欲が湧き上がり、己を変えねば、と行動し始める。
ただ、大半の人は満たされてしまっている。
別に飢えることはない。
コンビニ行けばカップラーメンを食べて腹一杯になれる。
家に帰ればふかふかのフトンにゴロリと横になって眠ることができる。
パソコンに向かえば普段めったに見かけないレベルの美人がベッドの上で乱れる映像を見ながら性欲を発散することができる。
そうやって手軽に「満たされる」のが当たり前になってしまえば挑戦する気持ちなど湧き上がってくるはずがない。
起業を志して「心が折れた」と途中で諦めて普通の道を選んだ友人。
彼は「金がない」といいながらハーゲンダッツを買っていた。ジュースを毎日のようにガブ飲みしていた。そして安いから、とマックのハンバーガーを毎日のように食べていた。
『ファストフードのハンバーガーを貪って喜んでいるような子どもにちゃんとした料理を食わせたら「まずい」と吐き出されるのがオチだ。』
(出典:超思考、北野武)
AVマニアの友人
昔、AVマニアの友人がいた。
彼は「彼女なんていなくてもオナニーで人生充実してる」と言っていた。
初対面からいきなり「〇〇って知ってる?」と知らない女性の名前ばかり挙げられた。
テレビもほとんど見ていなかったので「誰それ?最近有名な女優?」と聞くと
「チッチッチ。女優は女優でもAV女優だよ。男を救ってくれる女神さ。」
と誇らしそうに語ってくれた。
でも、そんな彼が「俺も彼女つくりたい」と言いだした。
なにやら彼女モノ?恋人モノ?のジャンルのAVがあるらしく、美女がまるで恋人になったかのように接してくれる映像があるらしい。
で、それを見た彼は「本当の恋人ではないその女優の彼女の映像」を見て、恋人がいない虚しさにハッとしてしまったらしい。
「日常ではまずお目にかかれないぐらいとんでもないぐらいの美女が恋人のように話しかけてくれる映像」を見て、まるでイチャラブしているかのような気分に浸れる。
男にとっては「カンタンお手軽に男の夢と欲望を叶えたかのような気分に浸れる映像コンテンツ」だ。
けれどそのかりそめの気分にどこかの段階で虚しくなってしまう。
結局、現実ではないから。
本物ではなくあくまでフィクションだから。
実際にハグができるわけじゃない。抱きしめられるわけじゃない。
当然、自分が手に入れたわけではないのだから。
彼はハングリーを自覚し、動き始めた
「恋人が欲しい」と相談してきた彼にジムをすすめた。
そうして彼はヒョリガリのカラダを鍛え始めた。
最初の頃は「つらい」とか「忙しくて時間がない」とかうるさかった。
だから、女性に会わせた。
彼が嫉妬するような女性にたまたま引き合わせた。
「なぁ、あのキレイな人だれ?彼女?」
「違う違う。知り合いだよ。」
そこから彼は目つきが変わった。
ハングリーが彼を変えた。
飢えたオオカミになった。
その飢えをすべて己への挑戦にぶつけていった。
そして数ヶ月後…。
年齢=彼女いない歴など関係ない。
そう思わせるほどかわいい女性と付き合っていた。
AVマニアだった彼の恋人も自分磨きを怠らない素敵な女性で、お互いがお互いに自分自身を高め合うモチベになっているらしい。
ただ聞いた話だと、まだAVは手放していないらしい。
「彼女が嫉妬して、夜が燃え上がるんだよ。それに全力で答えるのがたまらなく幸せ」
だそうだ。
うるせぇ(笑)。
お互い体を鍛えていてスタミナもめちゃくちゃある。それでもぶっ倒れるように一緒に眠れて最高に気持ちいいらしい。
…とにかく。挑戦が人生を変える。
そのためにハングリーを引き出さなければならない。
腹が減って飢えたオオカミのような「成功への渇望」を引き出さなければならない。
満たされているのに動くことなどできるはずもない。
だからまず飢えを作れ。ハングリーを引き出せ。
欲しいものを目にしろ。それを毎日見ろ。
そして満たされないむなしさを思いっきり噛み締めろ。
そこでようやく強烈なハングリー精神を思い出す。
圧倒的格上に触れ「なんて俺は雑魚なんだ」と自信を喪失して嫉妬の炎をメラメラ燃やす。
「そのためなら」と相手が誰だろうと頭を下げ、素直に学び、愚直に行動を積み重ねる。
「クソダサ」な自分を自覚できるのは外部からの刺激によってのみ。
とんでもない美女を連れている同年代の男を見てギリギリと歯ぎしりをする。
「悔しい。羨ましい。なんでアイツはできて俺は!!!!」
強烈な悔しさと敗北感を思いっきり噛みしめる。
ショボい自分を自覚する。そして挑戦する。
自分より圧倒的格上や成功者に触れた時「自分とは違うから」と目を背けてはいけない。
安易に欲の発散に逃げない。
「自分とは違うから。すごい人だから。才能があったから。」と己の「できない理由」で正当化して見ないフリをしない。
飢えた状態をひたすら維持し続け、ひたすら挑戦し続ける。
成功したいと思う人が本当に成功できるのはハングリーになれた時。
ココ一点に尽きる。
自己啓発本を読んで気持ちを高ぶらせるのもいいと思う。
けれどそもそも「寝食を忘れてまで「やらねば」となるような強烈な動機」がないのにあれこれやろうとしても途中で火が消える、
というお話でした。
飢えた孤独なオオカミになって目標を達成しましょう。
では。