どうも、らいあんです。
ブログはたったひとりに向けて書かないと響かないコンテンツになります。
コレ、知っておかないとたとえ10時間かけて一生懸命書いた記事だろうが10秒以内にページを閉じられるゴミ記事になります。マジです。
せっかく書いたブログ記事が読まれもせず、誰も興味すら持ってくれないひとり語りで終わるのは悲しいですよね。
逆に、たったひとりに向かって書けるようになれば喜ばれるコンテンツになります。
ひとりに向かって書くと良いコンテンツになる
読む人を1人決め、その人に向かって書く。
コレを実践すると自然といいコンテンツになります。
いいコンテンツというのは読者から反応があるコンテンツ。
たとえば「読んだおかげで変われました!」みたいなのは理想ですね。
何千、何万とネット上に漂うコンテンツの中で選ばれ、熱心に読まれてリアクションがもらえると嬉しいものがあります。
僕も最初は文章を書いても反応ゼロだったんですが、今回話す内容を意識しただけで「見え方が変わりました!」とか「どう行動すべきかハッキリした気がします!」といったダイレクトな反応を読んだ人からポツポツもらえるようになりました。
ちなみに、僕が誰に向けて書いているかというとこんな感じです。
『時刻は深夜1時過ぎ。終電ギリギリの電車。ガタンゴトンと揺れる車内で疲れた体に鞭打って吊革にしがみついている。
「また明日も仕事か…」と心の中でつぶやきながらこれからの人生について思いを馳せて「このままつまらない人生で終わるのかな…」と落ち込んで。
片手で器用にスマホを操作しながら「個人 起業」と検索し、何かいい方法はないもんか、と調べ始める。』
みたいな読者をイメージしてますね。
どうでしょう?
めっちゃリアルじゃないですか。
終電間際の電車内にひとりくらいはいそうですよね、こういうサラリーマン。
これぐらい具体的にひとりに絞ると何がいいかというと「どう言えば響くか」みたいなことが想像しやすいんです。
どういうことか?
ひとりに向かって書くとリアリティが生まれる
ひとりに向かって書く意識を持つとリアルな内容になります。
たとえば1日10時間以上働いておまけに残業までして疲れている人に向けて書く時。
もし「あなたもビジネスしませんか?」とか言われても「それどころじゃねーよ」となるわけです。
そうじゃなくて。
「自由な人生っていいよなぁ。もし値札とか気にせず好きな服を買ったりできたらどんなにいいだろうか。毎日290円の牛丼じゃなくてもローストビーフ丼とか財布の中身を気にせずに味わえるわけで。それに男として生まれたならやっぱ、成功したいよなぁ…。」
みたいなことを言えば共感するだろう、と思いつくわけです。
なぜ思いつくか?
「自分だったらこう言われたら響くわ」というのがイメージできるからです。
「顔の見えない誰か」に向かって「恋人、欲しくないですか?」と言ったところで「そりゃそうだろ。当たり前だバーカ。」となるわけで。
そうじゃなくてもっと具体的に考えてみる。
たとえば、「もう3年も恋人がいなくて、最近社内にちょっと気になる新入社員の女の子が入ってきた男性」を読者だと考えたら。
『実は最近知り合った女子大生に
「私、 年上の男性って魅力的に感じるんですよね。同年代は幼すぎてちょっと…」
という話をされました。』
みたいな話をしたら興味を持つだろうな、とか。
リアリティのある内容にもなって、より濃いコンテンツができます。
「じゃあ誰に向けて書けばいいの?」って?
それはですね。別に難しく考えなくていいんですよ。
カンタンなのは過去の自分に向けて書くこと
冒頭でお伝えしたこのブログの読者像。
「時刻は深夜1時過ぎ。終電ギリギリの電車。ガタンゴトンと揺れる車内で疲れた体に鞭打って吊革にしがみついている。
「また明日も仕事か…」と心の中でつぶやきながらこれからの人生について思いを馳せて「このままつまらない人生で終わるのかな…」と落ち込んで。
片手で器用にスマホを操作しながら「個人 起業」と検索し、何かいい方法はないもんか、と調べ始める。」
これ、誰かと言われたら過去の僕です。
「自由な生き方っていいなぁ」とか「副業ってどうやってやるんだ」とか思い始めるのって大体仕事の帰り道だったんです。
疲れた頭でボーッとしながら「このまま働き続けるのかな…?」みたいなことを考えて「どうやったら別の生き方ができるだろう?」と想像して「起業とかってアリなのか?」と考えてスマホでGoogle検索してました。
そういう過去の自分をありありとイメージしながら書く。
そうすると伝えたいことも自然と固まります。
何より自分相手なら好き放題言えるんですよ。
自分より年上とか知らない人に向けてだとガンガン行きづらいですが、
過去の自分に向けてだったら「もっとこうしろ」とか遠慮せずにガンガンアドバイスできます。
「こうするといいですよ」ではなくて「コレぐらいやらないとうまくいきませんけど大丈夫ですか?」くらい毒舌にもなれます。
そこまで言わなきゃ変われないから。
遠慮なしにぶつけられるのが過去の自分。
で、これは別分野のメディアの話なんですけど(強いていうならお勉強系の分野?)。
過去の自分に向けて語るイメージを持って遠慮せずお構いなしに書いていたら「らいあんさんの文章に熱を感じます」みたいなこととか言われるようになりました。
で、ポツポツとファンも生まれる、みたいな感じです。
なぜなら「過去の自分」というたったひとりに向けて語っているから。
それと似たような感情、経験をしたことがある人からすれば「もしかして私に言ってる?」と感じるわけで。
「たったひとりに向かって語りかけるコンテンツ」が自然に書けていたたわけです。
絞れば絞るほど、響くコンテンツに仕上がります。
文章を読む相手をイメージしながら書くから響く
僕が文章を書くとき、常に相手が浮かんでいます。
もちろん、今現在進行形で読んでいるあなたをイメージしています。
「こういう言い方したらどう思うだろうか?」
「今、相手はうなずいてるだろうか?それとも首を傾げてる?」
「この話したらイライラするかな?」
「この話はわかってもらえるかな?」
とか想像しながら書いています。
ぶっちゃけ、100人いて99人に分かってもらえなくていいんですよ。
たったひとりから熱烈な反応がもえればいい。
そういう意識でひとりに向かって書いています。
全員にわかってもらえなくていいんです。
「この人にだけはわかってほしい」という人に向けて全力で語る。
あなたも過去の自分に言っておきたかったこと。
全力で伝えようとしてみてください。
そう考えた時点で価値あるコンテンツができあがります。
過去の自分に向けてアドバイスすれば、それはもう自然に響くコンテンツに仕上がっているはずです。
ブログネタとかに悩んだら「過去の自分が悩んでいたこと」とか書き出してみると無限に記事ネタが出てきますよ。
「書くネタがありません」って悩むのはぶっちゃけありえないです。
「それ、ただ誰に向かって書いてるのかわかってないだけでしょ?」
って思ってしまいます。
では。