どうも、らいあんです。
僕が中途半端セミリタイア時期(毎月WEBサイトから勝手に一般会社員の月収がポンポン上がってしまうようなステージ)にいた時期、
日本各地、世界各地を旅し、毎日のようにお気に入りのカフェで読書をして、気分が向いたら寿司を食べに行ったり、スイーツ巡りをしまくったり、ちょっと値の張る時計やスーツに手を出してみたり、
そして最終的にゲームの世界に没頭していきました。
そういうクソみたいな中途半端セミリタイアをしていた時期があります。
で、ゲーマーに染まりきっていたからこそよくわかるんですけど、経済的成功を果たしている人たちはゲーマー気質の人たちがとにかく多いです。
というのもゲーマーは「自己成長に楽しみを見出す人たち」だからですね。
己を成長させることに快楽を感じるタイプです。
こういうタイプはすべからく成功を掴んでいきます。
僕が高校生以来、ヒマ過ぎてゲームに染まっていた時期、スポーツのように己の実力のみが試されるFPSゲーム(いわゆる銃の撃ち合いゲーム)にどハマりしました。
自分のレベル、判断力、スキル、経験値のみがモノをいう世界。
ある意味スポーツと同じです。
己のレベルが低ければ負け続けます。
いつまでたっても勝てません。
負けて負けて負けて負けて負けまくりです。
しかも当たり前のように猛者がワラワラいる世界なので負け続けます。
でも、そこで「なんだこのクソゲー」と逆ギレせずに真摯に成長を目指していきました。
すでに高みに行っている人たちのプレイ動画を食い入るように何度も何度も再生して「自分との差」はどこにあるのか書き出しながら比較したり。
プロのプレイ映像を見ながら「自分だったらこういう判断をする状況で、彼はなぜそれを選択したのか?」を徹底追求して取り入れまくりました。
その数ヶ月後でしょうか。
数ヶ月で無事に世界で上位10%以内のランクに食い込むことができました。
その分野では異例のスピードみたいですね。
で、これって僕がWEBビジネスで成果を上げるためにやってきたこともまったく同じなんですよ。
参入初期ってクソガキみたいなものです。
何も知らない。というかうまくいくかどうかも分からないレベル。
そんなの当たり前。
そこからうまくいっている人の話を聞くために自己投資してデジタルコンテンツを購入したり、セミナーに参加したりして「知識と経験」を取り入れまくっていくわけです。
他にも、成功している人たちのデータを集めて取り入れるために、競合メディアを徹底的に分析しまくって、特に「うまくいっている人たち」の共通項を徹底的に洗い出して、自分に取り入れられる要素を掘り出していく。
で、その成功要素だと思われるものを取り入れまくってテストして仮説検証しまくる。
得た知識と、分析して得たデータと、成功者たちの声や経験をガンガン取り入れて実行していく。
それは「うまくいっていない己を捨て去る行為」に等しい。
それまでの自分を脱ぎ捨てる行為です。
自己流とかどうでもよかったんです。
なぜなら、うまくいきたいから。
そうやって「成果を出し続けている人たちの脳みそ」を頭に叩き込みまくっていくといつのまにか基準値が変わっていきます。
で、あとはその通りに実践していたら結果が出るようになった、という感じです。
おもしろいのはこの「ゼロイチ」を達成してしまえば同じレベルまで成果を挙げるのがすごくラクに感じるようになるということ。
一度、100キロのバーベルを上げる成功体験を経験すれば、次からは「前回もできたんだからできて当たり前だろ」という感覚になれるわけです。
逆に、うまくいかない人たちはひたすら己の世界と自己流にこだわり続けて「自分を表現して認めてもらうため」に行動しています。
で、ほとんどの人は「こんなに頑張っているのになんでうまくいかないんだ!」と逆ギレして成功を諦めて消えていきます。
それに対して僕は
「己を捨て去り、自己流などかなぐり捨て、自己成長のために成果を上げている人たちに頭を下げて学び(時には金を払って学び)、成果を上げる視点や思考をインストールして行動する」
ことで成果を挙げてきました。
メディアという場を、
自分を認めてもらう「自己表現」の場だと捉えるのか。
他者に価値提供して「自己成長」していく場だと捉えるのか。
この違いを分かっておかないと、一生何も変わらないまま時間だけが過ぎていく側の人たちの仲間入りをする可能性が極めて高いですよ。
スポットライトが自分に当たっているのか、他者に当たっているのか。
これがすごく重要。
同じようなテーマでブログを書くにしても、
うまくいかない人は「自己表現の場」だと捉えます。
その一方うまくいく人たちは「価値提供の場」だと考えています。
こういう「スタートする以前」の段階で差が開いていることすら知らないのは結局、自己投資したり知識に金を払うのを怠った愚かな行為の結果です。
そういう意味で、自己流を捨てるのにはある種の痛みが伴います。
何十万というまとまった金額を払うという金銭的痛みだったり、
自分の愚かさとか頭の悪さとか無知さと向き合わなければならないという精神的痛みだったり。
むしろそういうのを「成長するための必要経費でしょ」と捉えてしまえるのはゲーマー気質なところを持つ人たちです。
ガケから何度突き落とされてもヒューヒューと口笛吹きながら余裕で這い上がってくるタイプがすぐ成功します。
うまくいかなくて当たり前だろ。
失敗しまくって当たり前だろ。
挫折しまくって当たり前だろ。
と考えているわけです。
最初のレベル1の段階で上の人たちにボコボコにされようが「いや、今から成長していけばノープロブレム」と捉えられる人たち。
こういう人たちは遅かれ早かれ、人生激変レベルの成功を手にします。
成功するまでの停滞時期を耐え忍ぶ姿勢ができあがっていますから。
たいていの人は「やーめた」となったり「なんでだよ!」と逆ギレします。
でもゲーマー気質の彼らは楽しそうに「もっと失敗させてくれ、挫折させてくれ、成長したいんだ!」と突き進んでいくわけですから、ゲーマー気質の人たちは成功して当然だなと思うくらいです。
結局、どんな分野においても己の無知とかレベルの低さと向き合い、成長していくことに楽しみを見出す人は成功するんじゃないかなと、そう思うわけです。
壁にぶつかるのを
「ココが自分の限界だからあきらめるしかない」と捉えるのか。
それとも
「今までの自分の殻を突き破って成長するタイミング」だと捉えるのか。
という解釈の違いなんじゃないかなと。