肉体労働というきつい世界から抜け出す自由な生き方へのチケット

people working near desk

僕が肉体労働の日々を過ごす中で感じていたのは「倒れたらゲームーオーバー」という恐怖だった…。

 

キツイから辞めたいと思ったこともある。

けれど、やめたところで他の選択肢があるわけでもないから八方塞がりだった。

 

もし別の分野に行ったところでまた新しくゼロから覚え直すだけ。

だったら我慢してでも今のままの方がいい。

その選択肢を選ぶ人がほとんどだと思う。

 

いわゆる3K(汚い、キツイ、危険)仕事の内2つを満たす労働していた頃。

疲労は取れないし、給与は低いし、将来への不安も大きい。

 

ひとつは引っ越し。

もうひとつは飲食の接客業。

 

当時まだペーペーだった大学生の僕は労働してもらえる給与に心が震えていた。

それまで数百円、数千円がMAXだった子どもがお年玉に諭吉をもらって喜んで。

そこから高校生でバイトを始め数万を稼げるようになり。

次は大学生を超えてから数十万を手にするようになる。

 

そうやって少しづつ金額が上がっていった先で手にした諭吉数十人。

 

初めて給与としてもらった日は帰り道に銀行ATMに寄って全額引き出して諭吉10枚を手で広げて自分をパタパタと仰いだりしたのを覚えている。

 

ただ、職場はいつも過酷な環境だった。

肉体労働でよくあるのは「新人が飛んだ」という現象。

やってきて数日でいなくなる。

 

で、予定していた人数が足りなくなると、残っている人でそれをカバーしなければならない。

 

当時、社員ではなかった僕は社員ばりに働いた。

いや、もはや社員の人たちからも一員として一目置かれるぐらいバリバリだった。

もはや困ったら頼られるような状況。

 

ある時、たまたま上司と給与の話になった。

「らいあん、お前どんくらいもらってるんだ?今月結構店にいただろ?」

「えっと、こんな感じらしいです…。」

と給与明細を見せると、

「おお、お前今月はなかなかやったじゃねぇか。俺と少し違うぐらいだな。」と

上司は笑いながら言ってくれた。

 

ただ、僕は内心おだやかじゃなかった。

 

「え?こんだけ働いたもらった給料と上司の違いってこんだけしかないの⁉︎」

 

もうかれこれ6年近く働いているにも関わらず、たかだか1年にも満たない僕の給与と対して変わらない事実に驚いた。

なんというか衝撃だった。

 

肉体労働の闇をそこで見た。

歳を取れば取るほど体力もなくなって、倒れたり体を壊したりするリスクもあるのに、対して給与が変わらない。

定年するまで続けるのはビルとビルの間を綱渡りするような気分だなと思った。

もし一瞬でも気を抜いてしまうと終わり。

倒れた瞬間、奈落にまっさかさまに落ちる。

 

罵声が飛び交い、怒声で「おい!早くしろよ!」と急かす声が飛び交う職場。忙しい時間になると本当に他の人のことを気にしていられなくなるほど忙しい。

そんな職場で必死に働き続けたところで、大した給与をもらえるわけでもない。

この辺りから僕は労働に対しての疑問を持つようになった。

 

肉体労働における最大のリスク「倒れると終わり」

当時尊敬していた上司が腰をやって倒れた。

その後お見舞いにもいったけれど二度と復帰できないということだった。

 

「お前、頼んだぞ」と言われてバイト風情の僕がしばらく社員にも口出しして指示を出すぐらいになっていた。

その上司に鍛えられまくったおかげで人一倍仕事をこなせるようになった。

 

ただ、上司が倒れて働けなくなったのを見て「一度でも倒れたら終わりなんだ…」ということに気づいてしまった。

 

それ以来、肉体労働の仕事を続ける中でいつも爆弾を胸に抱えているような気持ちだった。

 

万が一倒れたらどうなるのか。資本であるカラダを壊したらどうなってしまうのか。

上司の姿を目に焼き付けて実感したのは「倒れたら人生ゲームオーバー」だということ。

 

何より怖かったこと。

それは、「倒れたら終わり」ということを当たり前に受け入れているのか、誰もそこに疑問を唱えなかったことだった。

 

僕からしたら、気を抜けない。

風邪とか熱を引いてシフトに入れない時は眠ることすら怖かった。

もし倒れていなければ働けたのに。給与をもらえていたのに。

働けば働くほど不安が増していった。

 

労働という対価を払っているという自覚が必要

自分の身ひとつで働かなければならない。

しかも倒れたら終わりという危機感。

 

これを抱いていなければ、そもそも労働の日々を抜け出すことはほぼ不可能に近い。

なぜなら、疑問にすらも思わず当たり前の常識として受け入れている人が大半だから。

 

「なぁ、俺らって労働しか選択肢がないってヤバいと思わない?」

 

と同僚に聞いた時に

 

「そんなことを今考えてるお前の頭がヤバい」

 

と言われたのと覚えている。

 

みんな常識だから疑問にすら思っていないようだった。

 

「金持ち父さん、貧乏父さん」の著者であるロバート・キヨサキ氏の言葉で「ラットレース」というものがある。

rat race

image by Marieke VaNoon

働いても働いても苦しい生活から抜け出せない状態を、回し車のなかを一生懸命走るネズミにたとえ、ラットレースと呼んだ。

なぜなら、タイムカードは1度で燃えカスになるから。

 

30日の間にたとえ何百時間働こうが翌月にはリセットされる。

労働が積み上がることはまずない。

 

しかも責任が重くなったところで対して給与も変わらない。

 

いわばどうあがこうとも「抜け出せない」という労働システムに一生縛りつけられがんじがらめにされる。

 

逆に言えば「労働以外の選択肢」を考えなければ一生抜け出せないということ。

 

この辺りから帰り道に書店に通ってビジネス本とかを読み始めるようになった。

ずっと距離を置いてきた「読書」という選択肢を選びとって、人生を変えるための方法がないか探し求めるようになった。

このままだと人生詰むことが分かりきっていたから。

 

お金のために働くのではなく、お金に働かせる

お金に働かせる。

これでよくあるのは投資という分野で収入源を分散するという考え方。

ただ、これは絶対にNO。

基本的に投資というのはいわゆる「守り」に入るから。

 

どういうことかというと「すでに資産を持っていて余っている人」がさらに増やすために取り組む分野だから。

薄給労働者がいくら投資に目覚めたところでスズメの涙程度しか産まない。

なぜなら「資産が余っている人」のための選択肢だから。

 

そこで得た選択肢は「ビジネスオーナー」になるという選択肢。

いわば経営者とか社長になるという視点。

自分が働くのではなくお金やシステムに働かせるという視点。

社長や経営者がお金を使って人を雇って働かせるように、僕はシステムやサービスを利用して僕の代わりに働いてくれる分身を作るという選択肢にたどり着いた。

 

その中でもよかったのは「メディア」に働かせるという視点を持てたこと。

すなわちブログ、YouTube、ツイッター、Instagramなどの「自分の情報を発信できる場」を利用してビジネスを起こすこと。

 

僕は勝手にメディアコンテンツビジネスと呼んでいるけれど。

要するに自分が書いた文章とか音声とか動画が代わりに働いてくれる仕組みを構築していくこと。

 

これは僕の例だけど、数年前に書いたたった1記事が毎月数万の利益を産んでくれていたりする。

広告収入だのアフィリエイトだのデジタルコンテンツ販売だの色々言われるけど結局は「インターネット」におけるメディアを活用したビジネス。

僕はここに全額betした。オールインワンだ。

 

なけなしの給与をはたいて数十万もする知識に投資して勉強しながら、労働で疲れたカラダを叩き起こして実践した。

眠たくなるからと、夜中ぐらいから外を歩いて音声学習したりもした。

そうやって実践していってポツポツと収益が生まれるようになった。

 

今でも覚えているのは勤務時間中に報酬通知が届いたこと。

僕がその日10時間以上かけて働いた労働の3倍ぐらいの収益の通知が届いた時は感動で心が震えた。

 

本当に最低だけれど、嫌いなクソ上司と顔を合わせながら「今、オレはこいつの3倍今日だけで稼いでいる」みたいなことを思ったりもしていた。

そう思えば、嫌いな部分も目をつぶれるから。

 

そうやってゼロイチを掴んでからはどんどん実践していくほど結果が伸びる。

もちろん途中で散々失敗もしたけれど。

 

ひとつだけ言えるとすれば。

あの時、労働以外の選択肢に目を向けたことは人生で最高の選択肢だったということ。

 

もし、労働の日々に疑問を持たず、当たり前のものとして受け入れていたとしたら、

今も毎日薄給労働者として働きながら、休日はひたすらカラダを休めるために働き続けて、

いつ倒れたらおしまいになるかわからない恐怖にビクビクと怯える日々を続けて生きていたと思う。

 

大事なのはまず疑問を持つこと。

 

僕たちは給与をもらう代わりにいったい何を差し出しているのか?

これをよく考えること。

 

労働という対価を払って命を削っていることに早く気付かなくちゃいけない。

 

慣れてくれば頭をなんも使わずに働いて給与をもらえる「対価」を「労働力という命」を削って支払っているという自覚が必要だ。

 

別に今それで満足している人はそれはそれでいいんじゃない?と思う。

 

危機感を持つ人なんてほとんどいない。

それは今も昔も変わらない。

 

ただし。

肉体労働者はカラダを壊した瞬間ゲームオーバーになる。

どれだけ気をつけていても倒れるタイミングは必ずやってくる。

 

その時になって後悔しても遅い。

 

そういう危機感を持てば、少し視野も広がるはず。

 

ぶっちゃけ、いくら職種を変えようと待っている結末は同じ。

だから、別の選択肢を考えなくちゃいけない。

 

ラットレースを抜け出す選択肢は「有り余った資産を投資に投げ込む」か「ビジネスオーナー」になるしかない。

 

もしこういう分野を学ぶなら、これを読んですぐに書店に向かって「金持ち父さん、貧乏父さんのクワドラント」を手に取ることをオススメする。

 

あの時の僕のように別の選択肢がすぐ隣に存在していることに気づけるはずだから。

 

何度も言うけれど、今あなたが労働に対して危機感を持ってこの記事を読んでいることは誇っていい。

 

大事なのは行動を起こしていくこと。変化を起こしていくこと。

 

P.S.

「一生労働者として生きる道」を外れて別のレールを歩む方法を僕の経験を元にこのブログやメルマガで発信しています。

ぜひ、すみずみまで読んでみてください。

ABOUTこの記事をかいた人

1日14時間労働、休みなしで28日間ぶっ続けで働く鬼ブラック環境に揉まれた先で勢いで決行した旅先の景色に心が震えるほど感動し号泣。そこから旅する生き方を模索し始める。場所にも時間にも縛られずPC1台で働く生き方に憧れ起業。

お金・知識・人脈ゼロから起業し、趣味、学習系、健康系、コンプレックス系問わずオウンドメディアを構築し独自コンテンツ販売経験あり。(趣味からスタートした1つのメディアではありがたいことにメルマガ読者3000人突破。)

知り合いからは「お前はロマンチストとリアリストの2面性を持った凡人の顔した狂人」と言われる。

理想の生き方は「旅するモノ書き」

旅して景色を見て世界が広がるような刺激を受けたり、カフェでコーヒ片手にのんびり読書するのが至福の時間。己の頭に投資した知識をフル活用してビジネスの成果が出たり、現実が変わり始める瞬間はアドレナリンドバドバ。

飛行機に乗って海外旅行先に到着する頃に6万円の報酬通知で飛行機代がペイされているのを見た時、自分の中の労働価値観が完全に崩壊する。

Webマーケティングの相談を受けた人たちからは「らいあんさん個人のブログとかはやってないんですか?メルマガ書いてほしいです!というか書いてください!」と急かされ続けるも散々渋る。

ようやく重い腰を上げ、個人が自由な人生を手に入れるための知識や戦略をブログ・メルマガで配信中。

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