どうも、らいあんです。
お気に入りのスタバでのんびり読書していると隣のテーブルに座っていた白いYシャツにヨレヨレの曲がったネクタイをつけたの20代後半ぐらいのちょっと若めな?サラリーマンらしき2人組の会話から
「なぁ、おい。この人年商3億でしかもFXトレードで今も稼ぎまくっている方法とツールを無料公開しているらしいぜ。今限定らしい。ちょっとおもしろそうじゃね?」
「お、いいな。俺も金持ちなりてーわ」
みたいな会話が聞こえたので慌ててイヤフォンを装着して最近ハマっているKygoのFirestoneを流しながらこの記事を執筆しています。トロピカルEDMと呼ばれるらしく、あまり激しい曲が好きではない僕にとってクリーンヒットするジャンルでした。
一応、リンクを貼っておきますね。
EDMというジャンルなのにリラクゼーションマッサージを受けているような心地のいい気分に浸れるので毎日に疲れている人にはすごくオススメです。
(ぜひ、流しながらリラックスしてついでにこの記事を読んでみてください。なんなら、こんなクソつまらないゴミ記事を読んでいないで目を閉じて美しいトロピカルEDMに心地よく浸りましょう。そのほうが人生キラキラして見えますよ。)
ついでにちょっと思ったこともあるので。
「らいさんさんはニセモノなんですか?他の人たちみたいに実績画像とか『何百万稼ぎました!』みたいなのもないですし、ニセモノですか?」
と聞かれたことはないですが、ココで答えておこうかなと。
はい、僕、らいあんはニセモノですよ。
札束の画像や、報酬実績画像がない、顔出ししていない、実体のない人間のように見えるのでニセモノですよ!
いまだにブログ設置の仕方とかよく分からん、ドメイン?とかサーバー?の仕組みをよく知りませんし、調べないとよくわかりませんしめんどくさい時は業者にブン投げているくらいなのでニセモノですよ!
偉そうに上から目線のポジショントークをかましたり、毒を吐いたり、無目的にのうのうと生きて「毎日ヒマで退屈だー」とグチりながら働いている立派な社会人様をディスったり、起業したいとか自由になりたいくせに行動しない人をバカにしたりする性根の腐った悪人なのでニセモノですよ!
何を言っているのかもよくわからない薄っぺらいテクニックや流行りのビジネスばかりつらつらと語り言っていることが矛盾し始め自己崩壊していく自称1億円の資産家のブログではなくて、
誰もが知っているような経営者や投資家、経営思想家の藤田田、柳井正、孫正義、稲盛和夫、藤田晋、神田昌典、Ray Dalio、Steve Jobs、Phil Knight、Elon Musk、Ray Kroc、Jordan Belfort、Peter Drucker、David Ogilvy の本を読んだり「ビジョナリー・カンパニー」を7周くらいしたり、Kindle Paperwhiteをポケットに旅先をぶらぶらして、平日の昼間からカフェでのんきにドリップコーヒーを飲みながら書店で手に取れるような本ばかりを読んでいるのでニセモノですよ!
短期で儲かるテクニックとかテンプレートの話ではなくて長期的に自己成長した結果、お客様の方から来てくれるようなモテる情報発信者になりたい人向けの厳しくも難しい内容ばかり発信しているのでニセモノですよ!
ほとんどの人間が避けて通ろうとする「考えること」を強いるようなコンテンツばかりを出して、逆に分かりやすくて誰でもすぐに使える一過性のテクニックやテンプレを初心者向けに発信していないのでニセモノですよ!
毎日のように高級寿司の写真をアップしたり「〇〇さんと高級焼肉です!」とか「今日は高級スパに来ちゃいました!自分へのご褒美ルンルン♪」みたいな眩しすぎて見えなくなるほどのキラキラ・ライフスタイルをTwitterやインスタでバンバン投稿していないのでニセモノですよ!
シナシナになって生臭さすらも出ているセールで安くなった豆もやしを塩胡椒とちょっとおしゃれなブラックペッパーを使ってフライパンで炒めて空腹と飢えを満たして残りのありったけの収入を自己投資していた人間なのでニセモノですよ!
あ、自分にとって少なくとも3億円以上の価値があるパソコンデスクの写真ならありますよ。
コレです。

起業当初、基本的に部屋で勉強する習慣など存在せず、パソコンデスクすら部屋になかったので、書いまくった古本やら段ボールやらで必死に組み立てた世界でただひとつのパソコンデスクです!
ココから僕のすべてが始まったと思うと価値なんてつけられません。この画像を見るたびに初心を思い出して一層襟をたださねばという思いに変われます。
このパソコンデスク、すごいと思いませんか?
この世でただひとつのオーダーメイド、特注品ですよ!価値なんてつけられません!
なので僕はキラキラORギラギラした富裕層みたいな暮らしができていないのでニセモノです!
なので僕はニセモノです!
毎日毎日輝かしいライフスタイルの写真をTwitterや Instagramにバンバン投稿していないですし、「1ヶ月で何百万稼ぎました!そのテクニックはコレです!今だけの限定です!!!」みたいな話もしていないですし「今日は〇〇さんのセミナーに参加しました。とても勉強になりましたよ。」みたいな薄っぺらい話もしていないです。
僕はニセモノなので、もっと実績すごい人のところへ行っていただいて結構ですよ!

札束の画像や報酬実績画像といった具体的な数字やイメージを写真で見せる宣伝手法というのは見込み客を引きつけるフックとして大変優秀で、広告マーケティングの世界においても反応率が極めて高いと認められている実証済みの手法です。
アングラな場になるとそういった画像を高値で取引したりしていたりもするそうです(いわゆる、ソッチ系の分野においてのプロモーション経験者の人から直接聞いたことがあります。)
なので広告宣伝戦略としては大変効果的なので批判するつもりもありません。むしろどんどんやってもらって、それをキッカケに人生変わった人が生まれてくれればそれはそれで素晴らしいものになるのではないでしょうか?
ホラ、あれです。子どもににがーいクスリを飲ませるために暴れるの無理やり押さえつけながらクスリを飲ませて結果的に病気が治ったりすればそのクスリはその子にとって「自分を救ってくれた命の恩人」になるわけです。
それを苦いクスリではなくてベッタベタに甘〜い、ふわっふわの生クリームとスポンジがふんだんに惜しみなく使われ、噛めば心地いい酸味と果汁がジュワリとこぼれだすようなイチゴのショートケーキで釣って結果的に本人が人生変わることができれば、正当化されるのではないでしょうか。
なので、別に戦略として大変優秀であればそれを採用するのは反応率が重視されるこの世界では当然だと思います。
現代広告の父と呼ばれた、デイヴィッド・オグルヴィの「広告が邪悪になるのは、邪悪なものを広告している時だけだ」という言葉にもあるとおり、広告が邪悪なのではなくて邪悪な人間が広告するから邪悪に見えるだけです。
たとえば、人気料理講師や一流のシェフが包丁を握れば女性をトリコにするような芸術的世界観を持ったアート作品を生み出します。
が、犯罪者とか殺〇犯が包丁を持てば人を傷つけ、時には人の命を奪う凶器に変貌するじゃないですか。
結局は、本人がどういう意図や動機でやるか次第だと思います。なので僕はニセモノですし、もっと輝かしい実績を掲げていらっしゃる人はたくさんいるようですので、そちらへ行くことをオススメします。僕は関わっていきたい人とだけ関わっていきたいだけですので。
僕自身、歴史的に見ても効果的な広告宣伝手法を否定をするつもりはありませんし、そういうスタイルで突き進むのもアリだと思います。
ただし、数字で引っかかる人を集めてしまうと基本的に「言ったもの勝ちゲーム」になることが多いのも問題だと考えております。
数字で釣ったところでずっとその人たちを引きつけておくのが極めて難しいという問題点を孕んでいます。ここは本人のコンテンツ力であったり力量があれば些細な問題にはなりません。
が、多くの人は「実績画像で釣る」ことが当たり前かのようにそれさえあればなんとかなると思っている人も多いのが現状です。そのため、一度釣った見込み客をキープできずに時期に消滅していくパターンが極めて多いです。
いわば「ハリボテ」だとバレた瞬間、人はそこから離れていくわけです。
問題点を端的に挙げるとすれば「すごい実績に釣られてきた人の大半はもっとすごい実績を持つ人が現れたらソッチへ流れていくよね」ということですね。
もちろんある程度の関係性を構築することができるパターンもあります。
が、基本的に「浮気症の見込み客ですらない層」すらも引き寄せてしまうと、その人たちの対応に無駄な気力を削がれるハメになります。
本来、本当に力を注ぐべき人に使う時間を、ソッチに持っていかれるわけです。
また、こういった「実績うんぬんの有無」の話はいわゆる「東大生」というキーワードがあるものに日本人が無条件で反応してしまうのと同じ性質である個人的に考えております。
東大生の語る勉強法、東大生の語る投資手法、東大生の語る人生論、東大生の語るキャリア論、東大生の語る片付け論…などなど、この世には書店を見渡せば思わず日本人がフックされてしまうものがゴロゴロと溢れています。
なぜ、華々しい実績や『東大生』や『ハーバード』といった言葉が使われるかというと「強烈な言葉でフック」をしなければ基本的に本を手に取ってすらもらえず書店の在庫として埋もれてしまうからです。
書籍は基本的に数を売り捌けなければ人気にもなりませんし発行部冊数がモノをいう世界です。いわゆる「たくさんの人が読んでいるからいい本だよ」という価値観が非常に根強い。テレビの視聴率を取れる番組が優れた番組という価値観も似たようなモノです。
大衆向けのものは基本的にそういう「大量に売り捌く」ことが生存するための道ですし、そういう文化が根強い世界です。
基本的に多くの人に買ってもらえなければ元が取れないというのもあります。書籍の性質としてそういう宿命にあるのでああいう宣伝広告や謳い文句になるのは必然だと思います。
あと、コレは最近見かけた事例ではありますが「2ヶ月で月収100万!」と豪語するサイトのコンテンツが凄まじく薄っぺらな内容であり、本質的には「あなたも私と同じようにとにかく豪華絢爛なライフスタイルと数字と実績を出して人を釣りまくり、お客を煽りまくりアフィリエイトしましょう!そしてその実績を使ってあなたも私と同じように稼ぐのです!」みたいな内容であるという問題がありました。(もちろん大々的にそういう言い方をしていたわけではなく、本質的には結局それで実績を出し続けているんだろうな、と。)
そういうのを見て「最高じゃねーか!」となる人と「うわっ、なんか気持ち悪、その生き方」と感じる人など分かれていきます。
結局好みの問題になるのではないでしょうか。
この辺りは個人感覚の「どういうスタイル・生き方をしていきたいのか?」という違いだと考えております。
ここまで読んでくださっているあなたはお気づきだとは思いますが。
僕自身も結局は大枠で見れば「WEB起業であなたも自由なライフスタイルを送りませんか?」と大して変わりません。
そういう生き方を好き好んでやっているので、コンテンツ内にもそういう表現が度々入り込みます。
なので結局のところは「どういう流儀・スタイル」で発信していくのか?という発信者個人の信念や価値観の問題になるのではないかと。
僕自身、旅という生き方に命を救われ、心を揺さぶられたことからそういう生き方を追い求めるようになりましたし。
個人としてどう稼ぐのか?Webサイトからどう収益を上げていくのか?
証券会社が手数料をとにかくさっさと稼ぎまくるために、無理やりお客に利己的な都合で株式投資の提案をすることがあるように「どういう意図を持ってそれを為すのか」によるのではないでしょうか。
結局のところ、その人次第、というところだと思います。
なので僕は、ニセモノです。
さようなら。