どうも、らいあんです。
「置かれた場所で咲きなさい」
って「耐え忍べ」みたいな意味で使われますけど、
全然違う。
というか下手に誤解すれば「人生、諦めようよ」という絶望に変わるという話を。
Quoraでこんな回答を見つけた。
「置かれた場所で咲きなさい」は弱者を絶望させる言葉?
インドの最下層カースト「ダリット」に生まれたら、もうその人は咲けません。上の写真は、糞尿槽の汲み取りをするダリットの方です。
インドのカーストにおいて糞尿槽の汲み取りはダリットの仕事とされていて、今でも糞尿槽の汲み取りを素手で行っています。
とんでもない悪臭の中、朝から晩まで糞尿にまみれながら汲み出す。死ぬまでそれは終わりません。それが彼らの人生です。
スリ傷程度の軽いケガを負っただけで、感染症で死んでしまいます。彼らのほとんどは、この劣悪な衛生環境が原因で死亡するのです。
これだけ過酷な仕事をしても、給金は雀の涙です。
あと、BBCニュースによるとこの身分に区別される人は「身分の高い人の前で食事をしただけで殺された」という事例もあるようです。
「インドでは生まれた瞬間に人生が決まる」
僕自身、インドの教育事業で教育制度改革に取り組むインド人の知人から
「インドでは生まれた瞬間から人生が決まる。
激安貧乏タクシー運転手として観光客からのぼったくりを生活の糧にするために良心を殺して罪を犯しながら一生を終えるか、
裕福な家庭に生まれて潤沢な教育を受け、地位の高い仕事に就き、一生余裕を持って休日に遊んで暮らせるかが生まれた瞬間から決まっている。」
みたいなことを言われたことがある。
小学生ぐらいの子どもが教育を受けて何がなんでも成り上がるために本屋で教科書を万引きして捕まる世界があることもその時初めて知った。
それまで平和ボケして生きてきた己のちっぽけさに恥ずかしくなったのを覚えている。
「ひたすら耐え忍びなさい」は強者の論理
置かれた場所で咲きなさいの意味は、スタートから恵まれていない人に向かって「あなたは一生貧乏でいなさい。あるがままの運命を受け入れなさい。」ということだろうか?
僕は違うと思う。
もしそう解釈してしまうとしたら、己の可能性を閉じ、人生に絶望する教えだなと。
というかもし僕がそれを受け入れていたら今この世にはいない。
間違いなくこんな文章を書いていない。
会社で働いていた頃に仕事で上司にミスをなすりつけられてどうにもならん状況にあった時。
悩みを知人女性に相談したときに「がんばって耐えたらいいことあるよ」みたいな意味で「置かれた場所で咲きなさい」と言われたこととかあるけど、それは強者の論理じゃないか、と。
というかよく考えれば彼女は典型的な箱入り娘タイプだったのを思い出した。大学の学費も親が出してくれた、みたいなことを言っていたし。
自力で肉体労働して学費を稼がなきゃ大学に入ることすらできなかった自分とは大違いだった。
同じ日本でもそういう格差は確実にあるし、強者の論理は確実にある。
弱者側だと認識している人がそれを鵜呑みにすると人生詰む可能性すらある。
会社を辞める人に向かって「そんなんじゃ人生やってけないぞ」と言うのとかもそうだな。
なんの根拠もないクセにその人の可能性を勝手に閉じて絶望を与えてどうするんだ、と。
人生経験から言える。逃げるべき時は逃げたほうがいい。
もし僕が、パワハラが当たり前の罵声・罵詈雑言・暴力が当たり前の職場で「置かれた場所で咲きなさい」なんて言われてい続けていたとしたら、間違いなくこの世にはいなかった。
先に心のSOSが来てくれてある日突然起き上がれなくなったけれど。
いやー、あれはありがたかった。
あの時人生で初めて「人間には我慢の限界というものが存在するのか。限界が来ると心とか体が先に反応してくれるのか。」といい勉強になった。
与えられた場所で働き続け、頑張り続ければきっといつか報われる。
なんて教えを本気で信じていたら、僕は間違いなく今この世にはいなかっただろうな。
そもそも「置かれた場所で咲きなさい」の意味は「耐え忍びなさい」ではない。
うーん。
「置かれた場所で咲きなさい」
これはそもそも「我慢すればいいことあるよ」という意味ですらない。
この言葉の語源とか誰が書いたとかをすっ飛ばして表面的に解釈するから「我慢したらいいことあるよ」とか「苦しくても耐えればいいことある」みたいな意味になるんじゃないかなと。
英語では「置かれた場所で咲きなさい」は”Bloom where God has planted you.”
この「GOD」がミソだと思う。
あと、原文を書いた人が神学者だというのもポイント。
「置かれた場所で咲きなさい」という言葉も、ラインホルド・ニーバーという米国の神学者の詩の題名。
“Bloom where God has planted you.”
は「神が微笑むような場所で咲きなさい」という意味に取れる。
咲けるような場所で咲くために咲ける場所を探せという意味じゃないかと。
咲ける咲ける言いすぎて分かりにくいけど。
要するに「自分を活かせる文脈を生涯追求し続け、見つかったらそこで花開くまで努力し続けなさい」という意味。
間違いなく、受身的に「与えられた場所で耐え忍びなさい」という意味ではない。
「耐え忍べ」という意味ですらない。
無力だと絶望して諦めて耐え忍びなさいみたいな意味の言葉ではない。
自分の強みや個性を活かせる「神が微笑むような場」で咲きなさいという意味だと解釈する。
というか、原文読んでもそういう意味にしか思えない。
“Bloom where God has planted you.”
Please bloom where God has placed you.
Rather than give up, make the best of your life and bloom like a flower.
To bloom is to live happily.原文より一部引用
神が植えた場所で咲きなさい。
神が与えた場所で咲きましょう。
諦めるのではなく、花として美しく輝けるように努力するのです。
花開くために幸せに生きるのです。
文脈だけ切り取ってしまえば「耐え忍べ」になるのもわかる。
けれど、流れで言えばどう考えても
「人生を諦めてはいけません。咲ける場所、タイミングを信じ、それに向かって咲けるように努力するのです」
という
「希望を持ち続けて生きるのです」
という意味に近い。
置かれた場所で咲きなさいの意味と似ているスヌーピーの名言
置かれた場所で咲きなさいの意味とよく似ているのがスヌーピーの名言。

©️PEANUTS
「配られたカードで勝負するしかないのさ。それがどういう意味であれ、ね。」
これも解釈によって絶望の言葉にもなるし希望の言葉にもなる。
人生ツラくて諦めそうな人からすれば「もう自分にあるもので勝負するしかないし。できなければ諦めるしかない」という意味に受け取れる。
でも、「人生は変えられる」と確信している人からすれば「与えられたカードをどう活かすか」を考えよ、という希望の名言に変わる。
人によって解釈の仕方が変わるのはすごく興味深い。
僕は
「賞味期限ギリギリでさらに安くなったモヤシ生活&限界ギリギリの生活しながら収入を自己投資に回し続ける」
という逆転カードで、
知識にまとまったお金を払ってガンガン知識投資して強引にジョーカーとエースを引き当て今のライフスタイルを手に入れましたけど。
P.S.
もし、「置かれた場所で一生働け!」と言われてもし一生絵を描き続けろと言われても無理です。食っていける気がしません。

知り合いに見せたら
「え、何コレ、ネコ?」
と爆笑されました。
僕は全力で「猛々しく吠えるライオン」のつもりで何も見ずにがんばって描きました。
割と本気で描きました。
自分を活かせる分野・文脈を探すのは人生戦略において極めて重要な考え方です。