朝っぱらからうるさい目覚ましに叩き起こされなくていいライフスタイル。
コレだけでも割と人生大きく変わるんじゃないでしょうか?
ゆっくりと好きな時間に目を覚まして。
カーテンをシャッと開き
朝日を浴びて大きくうーん、と伸びをして。
ポカポカした日差しを浴びてゆっくり脳を目覚めさせながら
「今日は何をしよう?」
「どこに行こうか?」
とかゆったり考えられる余裕のある生き方。
人生にたっぷり時間の余裕を持てるような生き方。
今日はカフェ行くか。
1日中映画でも観るか。
海に行くか。
平日のガラガラの観光地を歩いている時に時間軸の違う生き方をしていることをようやく実感できました。
そんな生き方があるなんて知らなかった頃は、
満員電車にぎゅうぎゅう詰めにされながら必死に踏ん張って、車両の外に押し出されないようにしながら耐え忍んで職場まで運ばれる生活が当たり前だったし。
朝4時に起きて、6時には仕事開始してそのまま夜の22時まで働き詰めとかしてたなぁ。
「らんあんくん、お願い!人手足りないから残って!」
なんて言われて。
で、仕事来てなかった人は何をしてたのかというと忙しかったとかじゃなくて旅行に行ってたりしてね。
あれはあれで自分の生き方を貫いていたのかもしれないな。
「あぁ、自分はあの人が旅行を楽しむ代わりにスーパー長時間労働しているのか」
と感慨深い気持ちになったよね。
ホント、僕はちょうどいいただのお人よしだったんだろうな。
尊敬できる上司とか先輩から仕事を盗みまくるのは楽しかったけど。
クソみたいなパワハラ上司と一緒の時間はこの世でいちばんの拷問タイムだった。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
朝4時に起きて、仕事に行って、夜23時に家に着いて、風呂入って即寝て。
睡眠時間4時間程度、給与の低い仕事。
肉体労働だからカラダを壊したら一瞬で無収入に落ちる。
それを死ぬまで続けることを想像したら、囚人の方がマシかもな、と思ったりもした。
彼らは少なくとも生活は保障されているし、死ぬことはない。路頭に迷うこともないしそれなりに美味しいご飯も食べられる。
労働して、身体を壊すか、転職するか、退職するかまで働き続ける。
みんなその生き方が当たり前だと受け入れていて、週末の旅行とかを楽しみに生きていた。
休日は部屋にこもってベッドで1日中ゴロゴロしながらぼーっとしていた。
あぁ、また月曜日がやってくる。
また、朝から晩まで走り回る日々が始まる。
どうやったら自由な生き方とかできるんだろう…?
その最後のピースみたいなものがカチッとハマったのはいつだろう?
“人は自分が知っている世界で世の中が回っていると錯覚している。”
ゲーテ
本当にその通りだった。
自分の知っている世界がすべてだと思い込んでしまう。
外の世界とかがあるなんて信じられない。
というか意識すらしない。
なぜなら成功事例が頭の中にないから。
だから頭に知識を叩き込むしかない。
インターネットでメディアを立ち上げて、そこにコンテンツを投稿して、不特定多数に価値提供していくことが、自由な生き方につながるなんて想像もしてなかった。
「うわぁ、アフィカスきもっ!」
とか思ってた側だったから。
マジで無知すぎた。
というか、世界に目を向ければこのビジネスモデルだけで何十億とか、20年以上ビジネスが存続している事例がゴロゴロ存在するなんて予想すらしていなかった。
世界中に存在する中で最も合理的なビジネスモデル
って知った時は頭をハンマーで殴られたような衝撃だったね。
いやー、改めて無知って本当に怖い。
何が怖いって「自分が知ってる知識の範囲」だけで「俺は知ってる」と片付けてしまうところがいちばん怖い。
無意識のうちに自分で可能性を閉じているということだから。
人生の早い段階で外の世界に触れまくって体験しまくっておかないとどんどんどんどん思考が固くなっていく。
歳とれば取るほど挑戦する意欲がなくなる。
真実はそうじゃないと思う。
今までの自分の何十年という生き方を否定してしまうことになるから、新しい常識とかを受け入れることを拒否してしまう、っていうのが近い。
年齢を経るにつれて新しい物事とか自分の常識と違うことをどんどん受け入れなくなっていく。
「そんなの嘘だ!あるわけがない!なぜなら俺は今までの人生でそんなの見たことも聞いたこともないからだ!」
って、今までの自分の経験を元に勝手に判断してしまうようになる。
いやいやあなたが知らない世界なんてこの世に山ほどありますから…。
世界に飛び出して日本の常識は結局日本だけの常識なんだとか。
内戦で足吹っ飛ばした軍人に会ったりとか。
ヨガの修行で人生の20年以上かけてきた人とか。
世界のあちこちを巡りならビジネスチャンスを見つけてはそれを元に何億という金額を動かしている人とか。
己の美貌を写真に撮ってそれをインスタグラムに上げるだけで色んな分野から仕事をもらってそれだけで生活している人とか。
そういう「自分のちっぽけな世界」からは想像できないぐらい遠いところにある世界に触れられて本当によかった。
おかげで自分がどれだけ狭い世界で生きていたのか分かった。
井の中の蛙とかですらない。
ケージの中のハムスターレベル。
檻の中で一生を終える感じ。
だからどんどん知識投資すべき。
どんどん体験投資すべき。
己の世界ガンガン広げていくべし。
もし昔の自分にアドバイスするならまずそれを言う。
というかむしろ、今の方がガンガン自己投資しまくってる。
勉強すればするほど己の無知さに気づくようになった。
勉強不足は怖い。
むしろ勉強不足の状態で変に成功してしまったりするとどんどん人から学ばなくなる。
自分の成功体験に固執してしまう。
だから己の小さな成功体験など投げ捨てる勢いでどんどん次に進まねばならない。
少なくとも、現状成功していないとか、理想の生き方になれていないなら原因はソコ。
見ている世界が狭すぎる。
365日フラフラとヒッピーみたいな生き方をしているのに経済的余裕がある人とかいるわけで。
「雇われない生き方をします!」と宣言しておきながら毎日精神をすり減らして生きる貧乏フリーランスがいるかと思えば、働いているようにすら見えないのに毎日楽しそうに生きている金持ちフリーランスもいるわけで。
1年に1回、絵画のオークションに出品するだけで、あとの364日はずっとあちこち好きな骨董品探しに没頭して生きている人もいる。
そうやって自分の常識とは違う世界に触れて初めて、異世界に飛び込む準備が完了する。
だからできるかぎり早いうちからそういう常識はずれの生き方をしている人の知識とか情報をシャワーのように浴びた方がいい。
じゃないとどんどん思考が硬直化して、見えなくなっていく。
スーツを着る必要のない生き方、
目覚まし時計を投げ捨てられる生き方、
朝からゆっくりコーヒーを味わいながら1日の予定を立てられる生き方、
行きたいと思った時にフラッと沖縄とか北海道にビューンと飛べる生き方。
そういう常識はずれの生き方をしたいなら、まず自分の常識をはずすところから始めないといけないな、
と、中途半端に無料情報をかじって知識投資を怠りフラフラしながら結局メディアを立ち上げたものの大した成果をあげられずに元の労働の日々に戻っていった知人を見てそう思いました。
無知は罪。
本当にその通りだな、と。